河は委蛇を以て故に能く遠し 説苑
河(かわ)は委蛇(いい)を以(もっ)て故(ゆえ)に能(よ)く遠(とお)し
河は地勢に従って流れるから、遠くまで行くことができる
《「委蛇」は、うねうねと曲がるさま。川は曲がりくねって流れるから遠くまで達することができる、という意で》 大きな事業を成し遂げるには、あせって一直線に進もうとしてはならないというたとえ。
委蛇は「いい」と読むのか。漢検漢字辞典にも掲載されているなあ。参考として、「いだ」とも読むと書いていますね。 OCTAVE
参考
委蛇
1) い‐い〔ヰ‐〕【委▽蛇】
[ト・タル][文][形動タリ]曲がりくねって長々と続くさま。いだ。「委蛇として続く坂道」
2) い‐だ〔ヰ‐〕【委蛇/×逶×迱】
屋烏の愛 尚書大伝
オクウ ノ アイ
その人を愛すれば、その人の周りの物も可愛くなる
屋漏に愧じず 中庸
おくろう に はじず
独りを慎んで天に恥じる行いをしない
【解説】人の目につかない場所でも身を慎み、見られて恥ずかしいような行いをしないこと。
▼「屋漏」は部屋の北西の隅。家の最も奥まった所、または人に見られない所の意味。「愧じず」は「恥じず」と同じ。
【出典】詩経。
【類義語】君子は独りを慎む。
会稽の恥を雪ぐ
敗戦の屈辱を晴らすこと、また名誉の回復をいう。 中国春秋時代、越(えつ)王勾践(こうせん)が呉(ご)王夫差(ふさ)と浙江(せっこう)省紹興(しょうこう)市の南方に位置する会稽山に戦い、そこで包囲されてやむなく屈辱的な講和を結ぶという辱めを受けた。これが「会稽の恥」である。 その後、勾践は賢臣范蠡(はんれい)の助力を得るとともに、つねに苦い胆(きも)を部屋の中に掛けて置き、それを嘗(な)めてはこの辱めを思い出すなど、非常な苦心を重ねて20年、みごとに夫差を破って名誉を回復した、と伝える『史記』「越世家」の故事による。[田所義行]
細部に渡って干渉すると有為に過ぎて治まるものも治まらぬようになってしまう。
故に力や権力によって他を圧することなく、自ずから感じて帰するように導くことをいう。
これは帝道・王道に通じる。
小魚を煮る際に引っかき廻したら頭も尾も皆とれてしまうように、大国を治めるには形をくずさぬように無為自然に治めるほうがよいということから。
出典は老子の「道徳経」第60章。
【解説】人の目につかない場所でも身を慎み、見られて恥ずかしいような行いをしないこと。
▼「屋漏」は部屋の北西の隅。家の最も奥まった所、または人に見られない所の意味。「愧じず」は「恥じず」と同じ。
【出典】詩経。
【類義語】君子は独りを慎む。
会稽の恥 史記
かいけいのはじ
戦に敗れた恥辱・心に刻んで忘れない恥
cf)
会稽の恥を雪ぐ
かいけいのはじをすすぐ
[参照項目] |
瓜葛の親 故辞成語考
かかつのしん
親戚の多く縁つづきのあるたとえ
瓜や葛などの蔓草は互いに纏(まと)い絡(から)み合うことから、
親戚となって親しい交わりを結ぶこと。縁続きであること。
類:●親戚縁者
出典:「三国志-魏・明帝・種瓜篇」「与君新為婚、瓜葛相連結」
赤貧洗うが如し 先哲叢談
せきひんあらうがごとし
きわめて貧しいこと
赤貧洗うが如しとは、非常に貧しく、洗い流したように何もないさま。
「赤」は、まったく何もないことを意味する。
『先哲叢談』に「初め居を芝街に卜す。時に赤貧洗うが如く、舌耕殆ど衣食を給せず(芝の町に居住することを決めた。
きわめて貧しく、書物の講義の給金くらいでは、ほとんど生活することができなかった)とあるのに基づく。
類義語:貧、骨に至る
蕉鹿の夢 列子
しょうろく の ゆめ
あきらめのよいこと
得失の儚いことを例えた言葉。
また、失ったものに執着しないことの例え。 出典は列子の周穆王篇。 倒した鹿を人に見つからないように草で覆って隠したところ、その場所が分からなくなってしまい夢と為してあきらめた寓話から。 尚、出典中では続きとして、一度あきらめたものの忘れられず、他人が鹿を探し出したことを夢に得て訴えた話が描かれている。 これを考慮すると蕉鹿の夢の真意は「得失の儚いこと」や「執着しないこと」よりも、「真偽虚実の明らかにし難いこと」「必ずしも一に定まるものではないこと」を示すのであろう。
出典・参考・引用
「列子」周穆王篇
蕉鹿之夢
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旦の世に当って、王欽若已に相たり。欽若罷め、冦準再び入って相たり。参政丁謂(ていい)、準に事(つか)えて甚だ謹む。
嘗て会食せしとき、羹(あつもの)、準の鬚(ひげ)を汚す。謂、起(た)って之を払う。
準、笑って曰く「参政は国の大臣なり。乃ち官長の為に鬚を払うや」と。
謂、甚だ愧恨(きこん)す。準罷めさせられ、李迪(りてき)・丁謂、相と為る。
準、遠く貶(へん)せられ、迪罷めさせられ、謂独り相たり。
時に上、已に疾(やまい)有り、昏眩(こんげん)す。準の罷め、貶せられし如き、皆謂、中宮(ちゅうきゅう)に白(もう)して之を行い、上は知らざるなり。尋(つ)いで崩ず。
年五十五。位に在って改元する者(こと)五、咸平(かんぺい)・景と曰い、大中祥符と曰い、天禧(てんき)・乾興と曰う。太子立つ。是を仁宗皇帝と為す。
羹 熱い飲み物。 愧恨 恥じ恨む。 昏眩 めまい。 中宮 皇后。
王旦の在世中に、王欽若は宰相になっていた。欽若が罷免されると、冦準が再び朝廷に入って宰相になった。
参政の丁謂は恭しく冦準に仕えていた。
ある時、会食中に冦準が吸い物の汁で自分の鬚を汚した。丁謂はすぐさま席を起って冦準の鬚を拭き取った。冦準は苦笑しながら「参政は国の大臣である。上官の為に鬚まで払うには及ぶまい」と戒めた。丁謂は甚だこれを恥じ、ひどく恨んだ。
冦準が罷免されると、李迪と丁謂が宰相になった。やがて冦準が遠く(雷州の司戸に)おとされて行き、李迪も宰相を罷免されて丁謂独りが宰相の座にあった。
そのころ真宗は病に冒され、めまいに悩まされていた。冦準の罷免も配流も丁謂が皇后に取り入って決めた事で、帝は何も知らなかった。ほどなく真宗は崩御された。
五十五歳、在位中改元すること五回で咸平・景・大中祥符・天禧・乾興である。
皇太子が即位した。これが仁宗皇帝である。
勇将の下に弱卒無し 陔餘叢考
群は統率者しだいで、大将が強い時は、その部下の兵も強くなる
明は以て秋毫の末を察するに足れども而も輿薪を見ず 孟子 ●
明(めい)は以(もっ)て秋毫(しゅうごう)の末(すえ)を察するに足れども而(しか)も輿薪(よしん)を見ず
事柄の甚だしい矛盾
《「孟子」梁恵王上から》動物の毛の先までも見えるような視力をもちながら、車に積んだ多くの薪(たきぎ)が目に入らない。いくらよい視力があろうと、それを用いなければ役に立たないこと、また、小事に心を奪われて大事を見失うことのたとえ。
妄りに与うるは物を溝壑に遺棄するに如かず 説苑
妄(みだ)りに与うるは物を溝壑(こうがく)に遺棄(いき)するに如かず
むやみに物を人に与えてはならないという戒め
大国を治むるは小鮮を烹るが若し 老子
大国を治むるは小鮮(しょうせん)を烹(に)るが若し
大国の政治はあまりせせこましいやり方をしない方が良い
ことわざ図書館 より
寛容を旨としてこまごまと細部に渡って干渉せぬこと。
細部に渡って干渉すると有為に過ぎて治まるものも治まらぬようになってしまう。
故に力や権力によって他を圧することなく、自ずから感じて帰するように導くことをいう。
これは帝道・王道に通じる。
小魚を煮る際に引っかき廻したら頭も尾も皆とれてしまうように、大国を治めるには形をくずさぬように無為自然に治めるほうがよいということから。
出典は老子の「道徳経」第60章。
茶臼山古墳的 日々是好日 より
「小鮮」とは、小魚のことである。小魚を煮るときは、やたら突いたり、かき回したりしてはならない。なぜならば、そんなことをすれば、形もくずれるし、味も落ちてしまうからだ。
政治の要領もこれと同じである。できるだけ政府による上からの介入を避けて民間の活力にまかす、これが理想なのだと言う。為政者は、大所高所に立って、黙ってにらみきかせていればそれでよいとする考え方に他ならない。
これは国の政治だけでなく、企業の組織管理についても、当てはまるかもしれない。社長が自ら陣頭に立ち、社員にも「それ行け、やれ行け」とハッパをかける。これでは長続きはしないし、誰よりも社員自身がくたびれてしまう。
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