彩管を揮う
さいかんを ふるう
絵筆で絵をかく
さい‐かん〔‐クワン〕【彩管】
絵をかく筆。えふで。画筆。「―を揮(ふる)う」
迂生も実際に見に行ったが非常にすばらしかった.
村上先生に於かれては,存分に「彩管を揮われた」な,と思った.
鞿を以て駻突を御す 漢書 28-01-31
鞿(き)を以て駻突(かんとつ)を御す
軽い刑罰で悪人をやわらげる
ゆるい面がいで、荒馬をうまくさばく。軽い刑罰で悪人を柔げることをいう。鞿は馬の頭にかげる紐。駻突は荒れ馬。悪馬。OCTAVE
鞿
- 画数:21
- 音読み:キ、 ケ
- 訓読み:くつばみ
積羽船を沈む 淮南子 ( 積羽沈舟)
セキウ フネヲ シズム
小事も積もれば大事になる
《「淮南子(えなんじ)」繆称訓から》軽い羽根も大量になると、その重さで舟も沈む。小さなことも積もり重なると大事になることのたとえ。
類義語:塵も積もれば山となる
叢軽軸を折る 漢書 28-01-31
ソウケイ ジク を おる
小事も積もればいずれ大事になる
一つ一つは小さいものでも、数が多く集まれば大きな力になるということ。
「叢軽」は軽いものが数多く集まること。
「折軸」は車軸が折れること。
軽いものでも数多く集まれば、車軸が折れるほどの重量になるという意味から。
No. 558 【群軽折軸】 ぐんけいせつじく
きわめて軽いものでも沢山積めば重くなって、それを載せた車の軸が折れてしまうことを表している四字熟語です。
【群軽、軸を折る】と訓読みされます。
『戦国策』魏策の中で、張儀(チョウギ:?~B.C.309)が秦の為に連衡(レンコウ)策を魏王に説いている時の場面です。
天下の游士、日夜腕を搤(ヤク)し
天下の游説の士にして、夜となく昼となく、ぐっと腕組みして、
目を瞋(いから)し齒を切して、以て從の便を言ひ、
目を怒らせ齒を食い縛り、合従の便益を述べたてて、
以て人主に說かざるは莫(な)し。
人主に献策しない者はありません。
人主其の辞(ジ)を覽(と)りて,其の說に牽(ひ)かる。
人主がその言葉を受け入れ、その說に心引かれては、
悪(いづく)んぞ眩(くら)むこと無きを得ん哉(ヤ)。
目をくらまさないで済みましょうか。
臣聞く
臣が聞くところでは
積羽(セキウ)舟を沉(しづ)め,
羽も沢山積めば舟を沈め
群軽(グンケイ)軸を折り、
軽い荷物でも、沢山積めば車軸を折り
衆口(シュウコウ)金を鑠(とか)す、と
口を揃えてそしれば金属をも溶かす、と。
故に願はくは大王の之を熟計(ジュクケイ)せんことを。
ですから、大王がこの点をよくお計りくださるようお願いします。
【群輕折軸】に続いて【衆口鑠金】の四字熟語も出して、張儀は魏王に連衡策を納得させました。
【衆口鑠金】は『今日の四字熟語 No.478』で紹介しています。
同義の四字熟語としまして
【羽翮飛肉:ウカクヒニク】 【積羽沈舟:セキウチンシュウ】
【積水成淵:セキスイセイエン】 【積土成山:セキドセイザン】
【叢軽折軸:ソウケイセツジク】 【聚蚊成雷:シュウブンセイライ】
【点滴穿石:テンテキセンセキ】
などがあります。【塵も積もれば山となる】も同じです。
木梗の患い 説苑
もっこう の うれい
旅先で命を落とし、故郷へ帰れないのではないかという心配
《「木梗」は、木製の人形》旅先で事故にあい、無事に故郷に戻れないのではないかという心配。
(出典)中国、戦国時代、孟嘗君が秦に行こうとしたとき、ある人がそれを止めて、木の人形が土の人形に「あなたは土でできているのだから大雨が降ると必ずこわれてしまうというと、土人形は「私がこわれるというのは本来の姿にもどることだが、木製のあたたは大雨が降ると流されてどこへいってしまうかわからないではないか」と答えたという譬え話をして、あなたが今秦へ入れば、この木人形と同じ患いがふりかかるのではないか心配ですといったという話による。」
こう【梗】[漢字項目]
[常用漢字] [音]コウ(カウ)(漢) キョウ(キャウ)(呉)
1 しんの堅い枝。「花梗」
2 つかえてふさがる。「梗塞(こうそく)」
3 骨組み。「梗概」
[難読]桔梗(ききょう)
杞梓連抱にして数尺の朽有るも良工は棄てず 十八史略 28-01-31
杞梓連抱(きしれんぽう)にして 数尺の朽(きゅう)有るも、良工は 棄てず
少しくらいの欠点があっても、全体が良ければ捨てるべきではない
=両手で抱える程もあるような大木の杞(おうち)や梓(あずさ)にしても、数尺の腐った所が有るからと言って、腕の良い大工はそれを棄てたりしないものです。
原典・・
「二卵を以って干城(かんじょう)の将を棄つ」
◇ 東周王朝 ◇
職務上の些細な不正行為を理由として、勇将を辞めさせること。
転じて、小さな罪を責めて、大きな功績や能力があっても評価しない
こと。
二つの卵を不正行為により取得したということを理由として、盾とも城
ともなって国を守り得るような優れた将軍を見捨てるが原意。
孔子の孫になる子思が衛の国に仕えていた時、衛の名将の誉れ
高かった苟變(こうへん)の任用如何について、君に対して個人的な意見
を申し述べた。
「彼は戦車五百乗を指揮するに足る、有能な将としての資質があります。
君が軍旅に任じて、この人を率いるならば、天下に無敵と言えます」と。
それに対して君は、
「私も彼の才能はよく知っている。しかし、苟變は曽て属吏たりし時、
人民から卵を一人当たり二個分余計に供出させて不法に領得し、己の
私腹を肥やしたことがある。
だから将としては、用いないのだ」と語った。
「聖人の人を用いるは、猶 匠の木を用いるが如し」
聖人君子の人の任用の仕方は、名匠が材木を取捨選択するような
ものである。
少しぐらいの欠点があっても、全体として良ければ捨てるべきではない
という例え。
君の弁明にたして、子思は猶も進言した。
「聖人の人を用いるは、猶 匠の木を用いるが如し。
その長ずるところを取り、その短なるところを棄つ。
杞梓連抱(きしれんぽう)にして数尺の朽(きゅう)有るも、良工は
棄てず。
(=両手で抱える程もあるような大木の杞(おうち)や梓(あずさ)
にしても、数尺の腐った所が有るからと言って、腕の良い大工は
それを棄てたりしないものです。)
今 君は、戦国の世に処して爪とも牙ともなって国を守る人物を選び
出して置きながら、二つの鶏卵の故に、干城の将を棄てようとなさって
おります。これは隣国に聞かせることは出来ないことです」と。
君は、子思を再拝して言った。
「謹んで教えに従いましょう」と。
「十八史略 春秋戦国・衛」
赭衣は赤い着物.古代の支那では昔,これは罪人に着せたことから罪人をさす.世の中がうまく治まっていないことを言う.
女郎の千枚起請
女郎(じょろう)の千枚起請(せんまいぎしょう)
信用できないもののたとえ
《女郎は何人もの客に愛情を誓う証文を渡すところから》信用できないことのたとえ。傾城 (けいせい) に誠 (まこと) なし。
三枚起請(さんまいきしょう)は古典落語の演目の一つ。
あらすじ
ある男が、夜遊びが過ぎる友人をいさめている。懲りない友人は、男に自慢しようと、自分の名と遊女の名の入った起請文を見せびらかす。男は自分の煙草入れから同じ遊女の名が書かれた起請文を取り出し、「遊女がこれを書くのは客を多く取るための方便であり、本気にしてはいけない」と友人をいさめる。そこに3人目の男がやってきて、遊び自慢にやって来る。3人目の男も、ふたりと同じ遊女の起請文を取り出すのだった(3人の男と遊女の名は、一例として、上方ではそれぞれ仏壇屋の源兵衛、下駄屋の喜六、指物屋の清八、お茶屋「宇津木」の小てるなど。東京では棟梁の政五郎、建具屋の半公、三河屋の新之助、妓楼「水都楼」の喜瀬川花魁など。以下東西および演者別の混同を避けるため、「A」「B」「C」「遊女」と表記する)。
怒り、呆れるBとCをなだめつつ、Aは「この遊女に恥をかかせよう」と、ふたりに作戦を授ける。店の女将に話を通し、部屋を借りたAは、Bを押し入れに、Cを衝立の陰に隠して、遊女を呼びつけた。
AがBに起請文を書いたことについて遊女をただすと、遊女は「あんな奴に起請文を書くわけがない」と、Bの容姿をけなす。AがBの名を呼ぶとBが押し入れから出てきて、遊女は少し驚く。遊女はCについても同じようにけなし、Aの声でCが姿を現すにいたり、遊女は「女郎は客をだますのが商売。だまされる方が馬鹿だ」と居直る。
「昔から、起請文に嘘を書くと、熊野のカラスが3羽死ぬ、と言うだろう」「オホホ。私はね、世界中のカラスをみんな殺してやりたいんだ」「カラスを殺してどうするんだ」
赭衣路に塞がる 漢書
しゃい みちに ふさがる
罪人の多いたとえ
赭衣路に塞がり,囹圄市をなす
しゃい みちに ふさがり,れいぎょ いちをなす
狗猪も余を食らわず 漢書
クチョも よ を くらわず
人の道を外した人間の食べ残しは犬も豚も食わない
「狗猪もその余りを食らわず」(人の道を外した人間の食べ残しは犬も豚も食わない)と漢書にあるが、これに貪りついているのは心まで狗猪にも劣る嘆かわしい政治家達であるが、これでも国民は何一つ不平も言わないのは何故だ。
亡国の政治家は独裁政治家にも劣らないほど国家国民を毀損しているのに、自由も民主主義もあるはずなのに何故何も出来ず一緒に転がり落ちているのか歯がゆい限りである。
平和呆けしてしまって魂まで無くしてしまったに違いない。
財を積む千万なるも薄伎 身に在るに如かず
ざい を つむ せんばん なるも はくぎ みに あるに しかず
財産はいずれなくなるが、身に着けた技術はたとえつまらないものであってもなくならない
析薪を負う
せきしん を おう
子孫が立派に跡継ぎをする
「析薪を負う。」という故事ことわざが出てきた。新明解故事ことわざ辞典によると、「子孫が父祖の事業を継いで立派にやっていくことのたとえ。父が薪を割り、子がそれを背負うということから。▽析薪=薪を割ること。」 OCTAVE
商山の四皓
しょうざん の しこう
東洋画の画題として描かれた、鬚や眉が真っ白な四人の隠士
辞譲の心は礼の端なり 孟子
辞譲(じじょう)の心は礼の端(たん)なり
自らが一歩退いて人に譲ろうとする心から礼が芽生える
(孟子)「四端の説」辞譲(じじょう)の心は礼の端(たん)なり
譲り合いの心は、礼の始まりと孟子の解説にあった。『孟子』の有名な「四端の説」の一つである。『孟子』のよれば、人間はだれでも、次の四つの心を持っている。
一、惻隠(そくいん)の心:かわいそうだと思う心
一、羞悪(しゅうお)の心:悪を恥じ憎む心
一、辞譲の心:譲り合いの心
一、是非の心:善悪を判断する心
そしてこれらの心は、それぞれに、仁、義、礼、智の芽生えなのだとあります。
一、惻隠の心は仁の端なり
一、羞悪の心は義の端なり
一、辞譲の心は礼の端なり
一、是非の心は智の端なり
この「四端」を大きく育てていけば、だれでも立派な人物になれるとありました。
惻隠、羞悪、辞譲、是非 = 仁、義、礼、智
文字だけを追うと分かり難いですが、
・かわいそうだと思う心
・悪を恥じ憎む心
・譲り合いの心
・善悪を判断する心
譲り合いの心は、礼の始まりと孟子の解説にあった。『孟子』の有名な「四端の説」の一つである。『孟子』のよれば、人間はだれでも、次の四つの心を持っている。
一、惻隠(そくいん)の心:かわいそうだと思う心
一、羞悪(しゅうお)の心:悪を恥じ憎む心
一、辞譲の心:譲り合いの心
一、是非の心:善悪を判断する心
そしてこれらの心は、それぞれに、仁、義、礼、智の芽生えなのだとあります。
一、惻隠の心は仁の端なり
一、羞悪の心は義の端なり
一、辞譲の心は礼の端なり
一、是非の心は智の端なり
この「四端」を大きく育てていけば、だれでも立派な人物になれるとありました。
惻隠、羞悪、辞譲、是非 = 仁、義、礼、智
文字だけを追うと分かり難いですが、
・かわいそうだと思う心
・悪を恥じ憎む心
・譲り合いの心
・善悪を判断する心
四つのことは、日々の生活にしょっちゅう出会うことと思います。今いる場をより良くするように、考え行動することでも、自分をバランスよい人間に育てるのかもしれません。
*参考資料:守屋洋著「中国古典一日一話」
孟子
三界の火宅、四衢の露地
さんがい の かたく、しく の ろじ
法華経において心の安穏を説いた言葉
漢字の大海 より
法華経において心の安穏を説いた言葉。
「三界」とは、仏教用語で欲界・色界・無色界のことを指し、合わせて全世界を意味する。
「火宅」とは、煩悩が盛んで不安なことを、火災にかかった家宅にたとえた言葉。
つまり、この世は火事のように激しく煩悩に責め立てられる世界だということ。
「四衢」とは、四つに分かれた道のこと。
「露地」とは、俗世界を離れた静寂な境地。
其の阜に考訊して出ださば則ち怨靖からん
槃特が愚痴も文殊が知恵
槃特(はんどく)が愚痴(ぐち)も文殊(もんじゅ)が知恵 28-01-31
愚者も修行に励めば、知者と同じように悟りを得るということ
愚者も修行に励めば、知者と同じように悟りを得るということ。槃特も文殊も釈迦 (しゃか) の弟子で、前者は愚者の代表、後者は知者の代表とされる。
医療の未来
混合診療で大儲けする人 病気になったら全財産がなくなる人
執筆・発刊しました
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