2014年10月21日火曜日

25年第3回 故事成語


性は猶 杞柳のごとし

「性は猶(なお) 杞柳(きりゅう)のごとし」という故事が出てきた。故事ことわざの辞典で調べると、《「杞柳」は柳の一種》 柳の板を自由に曲げて器を作るように、本来善でも悪でもなく、またどのようにでもなる人の本性を、よいほうに曲げて形作るのはその人の後天的な努力によるというたとえ。告子の説いたもの。

 これに対して孟子は、柳の板を曲げて物を作るのは、柳の性質に逆らって作るのではなく、その性質に基づいて作るのだと説く。OCTAVE


孟子-告子上[1-2]
告子こくし曰く、 
性は猶ほ杞柳きりゅうのごときなり、義は猶ほ桮棬
はいけんのごときなり。 
人の性を以て仁義と為すは、猶ほ杞柳を以て桮棬を為すがごときなり、と。 
孟子曰く、 
子は能く杞柳きりゅうの性に順したがひて桮棬はいけんを為すか。 
将に杞柳をしょうぞくして後に以て桮棬を為さんとするか。 
如し将に杞柳を賊して以て桮棬を為さんとせば、則ち亦た将に人を賊して以て仁義を為さんとするか。 
天下の人を率ひきひて仁義に禍する者は、必ず子の言か、と。 


告子曰く、 
性は猶ほ湍水たんすいのごときなり、諸これを東方に決すれば則ち東流し、諸を西方に決すれば則ち西流す。 
人の性の善不善を分つ無きなるは、猶ほ水の東西を分つ無きがごときなり、と。 


孟子曰く、 
水は信まことに東西を分つ無く、上下を分つ無きか。 
人の性の善なるは、猶ほ水の下に就したがふがごときなり。 
人に善ならざる有る無く、水に下くだらざる有る無し。 
今夫れ水を搏ちてを躍おどらさば、ひたいをも過ぎさしむ可く、激して之を行ずれば、山に在らしむ可く、是れ豈に水の性ならんや。 
其の勢は則ち然るなり。 
人の不善を為さしむ可き、其の性も亦た猶ほ是かくのごときなり、と。

現代語訳・抄訳
告子が云った。 
性というものは杞柳の如きものであり、義というものは桮棬の如きものである。 
人の性を仁義であるなどとするのは、言うなれば本性としては曲がっていない杞柳を細工して曲物の杯を作るようなものであって、本来、性と仁義は別個のものなのである、と。 


孟子が云った。 
あなたは杞柳の性に順ってなんの手も加えずに自然にして曲物の杯を作るのか。 
それとも、杞柳の性を傷して屈曲し、それで曲物の杯を作るのか。 
もしも、杞柳の性を傷して作るのであれば、人においてはその性を傷して然る後に仁義を為すということになる。 
これでは天下の人々は性を傷せねば仁義は為らずと思うが故に、仁義に帰せぬようになってしまう。 
これは仁義に禍するものであるといえよう、と。 
告子が云った。 
性というものは渦を巻いて流れる水の如きもので、東方へと堤を切れば東方へと流れ、西方へと堤を切れば西方へと流れる。 
性に善不善の区別が無いのは、言うなればこの水に東西の区別無きが如きものである、と。 


孟子が云った。 
水は本当に東西上下を分つことがないのであろうか。 
人の性が善であるのは、水が下へ下へと自然に流れてゆくが如きものである。 
人に善というものが存在しないということは無く、水が下らぬということも無い。 
水を思い切り撃ち叩けば水しぶきが我が額を越えることはあろうし、激しく流せば山すら上ってゆくであろうが、果たしてこれが水の性であると言えるだろうか。 
その勢いは外物に由りて生ずるだけのことである。 
人が不善を為すということも、この水のように外物に由りて生ずるものであって、一度その勢いが無くなれば、人の性は善なるが故に自然とそこへ帰するものなのである、と。東洋・西洋の古典書籍http://www.kokin.rr-livelife.net/classic/classic_oriental/classic_oriental_154.html


老いて妬婦の功を知る


老い木に花咲く 老い木は曲らぬ 老いて妬婦の功を知る
衰えたものが再び栄えること。
 木は若木でないと曲らない。人も若いうちになおさないと一生治らない。
 若いうちは口うるさい女房だと思っていたが老年になって女房のありがたさを知った。としのブログか


cf) 「讒臣(ざんしん)国を乱し妬婦(とふ)家を破る」
問題集に取り組んでいた。「讒臣(ざんしん)国を乱し妬婦(とふ)家を破る」という故事ことわざが出てきた。「他人を悪く言って主君に告げ口をする臣下がいれば国は乱れるし、嫉妬深い女は家の平和を壊すもとになる。「讒臣」事実を曲げ偽って他人の悪口を主君に告げる臣下。「妬」やきもちをやくこと。」 前回の検定に「老いてトフの功を知る」が出題された。上記を故事ことわざを知っていたらできたかも。私は出来ませんでした。OCTAVE


屋漏(おくろう)に愧()じず
《「詩経」大雅・抑から》人の見ていない所でも恥ずかしい行いをしない。

25年1回 故事成語


白頭新の如く、傾蓋故の如し
[よみ]
はくとうしんのごとく、けいがいこのごとし

[意味]
白髪頭になるまで交際しても気が合わなければ、新しい知り合いと同様だが、たまたま道で知り合った人でも気が合えば旧知のように親しくなること。

[注釈]
「傾蓋」の車の蓋を傾けること。

[語源]
孔子と程子がたまたま道で出会い、車の蓋を傾けて語り合ったという故事から。

[出典]
『史記』鄒陽

[類句]

2014年10月9日木曜日

漢検分野別精選問題集 漢字 訓読み


日本漢字能力検定協会の本 漢検分野別精選問題集(昔の征服)の漢字 訓読みをしらべてみた。

 ネットでしらべた方が早いものはネットで調べここに記した。辞書を見てしらべた方が早いものは辞書を見てノートに書いた。

 新星出版の合格問題集 過去問(平成26年から平成21年)をやったが、ここの訓読みに初めて見るものが沢山あって、戸惑った が、勉強になった。これだけ抜けている所があったのか ということ 平成26年10月9日(木)

 三線のお稽古もお休みして、飲み会もキャンセルしてお勉強しました。今日は頭が冴えているので、このような日は誠に勝手ながら大事にしたいと思ったのである。 

目録
ナ13)痞えに悩む上臈を思わせる p30
ラ16)需は孚あり、おおいに亨る  p31
ラ18)鵠を刻して成らざるも鶩に類す (こくをこくしてならざるもあひるにるいす)
20不虞―ふぐーに備えざれば、以て師―いくさーすべからず
ム19)顕を微にして幽を闡く p32

(ウ6)心を原ねて罪を定む

(ウ18)藐藐たる昊天克く鞏からざる無し

(ウ20)尸禄(しろく)殃を貽(のこ)し負乗悔を招く
ヰ19)月に一鶏を攘(ぬす)み以て来年を待つ
ヰ20)舌端の孼いは楚鉄より惨し(むごし)
(ノ18)地を画して趨る

ノ20)俗を斉え弊を拯い、民嘉せざるなし


ク4)声音吁として怕る可し
ヤ14)庇う物を蟎が食う
ヤ16)僮僕 歡び迎へ 稚子候門 稚子 門に候(ま)つ
マ17)吾これを售り,人これを取る
ケ16)車、甚だ沢(ひかり)あれば、人必ず瘁れる
フ19)片言獄を折む
目録終わり

訓読み
ナ13)痞えに悩む上臈を思わせる

上臈 じょうろう
 上臈(じょうろう)

痞え つかえ



ラ16)需は孚あり、おおいに亨る

需は孚(まこと)あり。光(おお)いに亨(とお)る。貞吉。大川(たいせん)を渉(わた)るに利(よろ)し。
(字義)
孚とは、私心のないまことを、渉るとは、川などを渡ることを意味する。
(大意)
需は需待、時を須()つの意味である。主爻である九五は中、正を得て尊位にいるため誠信の徳が充実する。したがって例えて言うなら十分に才能のある者が 事をなすにあたって機が熟するのを待って正しく行えば吉であり、大川を渡るような大事を行うことも可である。
http://homepage1.nifty.com/haruakira/eki/shousetu64/f_05.html

需。有孚光亨。貞吉。利渉大川。
(じゅはまことありおおいにとおる。ていきち。たいせんをわたるによろし。)

「需」は待つこと、「光」は大いに、ということ。「水天需の時、誠があれば大いに通じる。貞正にして吉。時期を待って大川を渡っても 良い」。 水天需の時は、待てば必ず来る、これがポイントです。ただし、「慌てる乞食はもらいが少ない」というように、早く手に入れようと焦ったり、急進してはなり ません。静観しつつ、常日頃、あなたの持っている実力や知識の手入れを怠らず、さらに磨きをかける姿勢が大切なのです。それも悠々と飲食を楽しみながら。 すなわち、水天需の時は心と体にたっぷりと栄養を摂らせて、将来、大川を渡るための準備をする時なのです。各爻では、どのようにして待つべきかが場面に応 じて解説されています。



ラ18)鵠を刻して成らざるも鶩に類す (こくをこくしてならざるもあひるにるいす)

〔後漢書 馬援伝
白鳥を作るつもりで木を刻めば家鴨(あひる)程度のものはできるの意。立派な人のおこないを学んで及ばなくても,それに近い人になれるということ。


20不虞―ふぐーに備えざれば、以て師―いくさーすべからず

万一の場合の準備がなければ戦争はしてはならぬ。師は軍隊。
(春秋左氏伝―左伝
中国、春秋時代の歴史書として最も基本的な資料であり「五経」の一つである。)


ム19)顕を微にして幽を闡く

それ易は往を彰かにして来を察し,顕を微にして幽を闡(ひら)き(繋辞下伝)易は往(過去・歴史)を解明して,来(現在・未来)の事態を推察し,顕著に現 れた現在の事象の中に,微妙な目に見えない原理を探る。まさにこれが易経。見えない原理を感じ取る感性を養うのが易といえる。#易経
https://twitter.com/TLIMSUDA/status/465443269833265154

顕微闡幽(けんびせんゆう)

2011/05/11

顕微闡幽(けんびせんゆう)

「顕(けん)を微(ほのか)にして幽(ゆう)を闡(ひら)く
「幽」は原理。かくれたもの。
(易経)
闡幽(せんゆう) は、隠れているものを明らかにする。
http://cent.blog.ocn.ne.jp/blog/2011/05/post_91f6.html





(ウ6)心を原ねて罪を定む

原心定罪

日本人に親しまれた俚諺に「盗人(ぬすっと)にも三分の理」というのがある。犯罪者にもそれなりの理由があるはず、だから、先ずはその犯罪の背後にあるものを見極めよというものである。中国では「原心定罪(心を原(たず)ねて罪を定む)」という。いずれも、犯罪者を糾弾して厳罰に処し、それでよしとするだけでは何の問題解決にもならないという、性急で過酷な断罪を戒めるものでもある。


人を処断するときは、本人の動機や心理を良く究明し、それに基づいて罪刑を決定するということ。
 「心を原(たず)ねて罪を定む」と読み下す。中国・春秋時代の断罪の法。
 出典:「漢書-薛宣朱博伝」「春秋之義、原心定罪」
http://www.geocities.jp/tomomi965/ko-jien02/ka16.html#ken3


(ウ8)子孫世に伝え福禄疆りなし
 解説無し

(ウ18)藐藐たる昊天克く鞏からざる無し


藐藐昊天 無不克鞏
  藐藐(ばくばく)たる昊天 鞏(かた)うすること克(あた)はざる無し

  高遠にして広大なる天は、今は喪乱を降して、天下が乱れているが、結局は、天
  の力が勝って、この世の中を強く固(鞏)くすることが出来ないことは無くて、天下
  が安泰になることであろう。
http://blogs.yahoo.co.jp/syokansu/archive/2014/8?m=lc

「藐藐たる昊天克く鞏(かた)からざる無し」という文章が出てきた。詩経、大雅、瞻卬が出典である。「藐藐」は小さいものを表すが、ここでは反訓で大きいものと捉える。全体の意味は、「藐 藐は大なる藐、鞏は固なり、藐藐たる昊天、是れ幽王に喩える。幽王も人間なれば、天より受けたる徳を鞏くとり守ること出来ないというはずはない。(願わく は今の内に早く悟りあらためて、先祖文王を忝(はずかし)めることのないように。文王は如何なることをなされたか、これを思って辱しめぬようにしなけれ ば、先祖文王も汝を救い助けられないでしょう)」 参考に漢典で「藐藐」を調べると、「高貌;高貌。藐,通。《·大雅·瞻卬》:藐藐昊天,无不克巩。」。「巩(鞏)」も調べると、「固,结实,使牢固:~固。~膜。consolidate」  consolidate:〈権力・地位などを〉固める,強固にする,強化する;〈人望を〉高める」
勉強になりました。

オレのブログ


(ウ20)尸禄(しろく)殃を貽(のこ)し負乗悔を招く

漢検分野別精選演習1級をしていた。「尸禄(しろく)殃を貽(のこ)し負乗悔を招く」という文章が出てきた。ネットで調べると、「尸禄(しろく)」は「仕事をしないで、ただ俸禄を受けること」。「殃」は「災い」。「乗悔」は「乗侮」で「五行学説で虚に乗じて、しかもこれを 踏襲する・・・バランスが取れなくなってしまう現象」 うまく訳せないが、「仕事をしないで俸禄をもらっていたら、災いを残し、五行学説で悪いことを招く」 この訳は自信がありません。わかる方があれば教えてください。




ヰ19)月に一鶏を攘(ぬす)み以て来年を待つ

月に一鶏を攘(ぬす)み以て来年を待つ。・・・毎月、鶏一羽だけを盗んで、来年からは盗みをやめる。毎日鶏を盗んでいる者に悪事はやめよと戒めたところ、これからは、月に一羽にして、来年になったらやめると答えたという。悪事をなかなかやめられないという意。にある。


ヰ20)舌端の孼いは楚鉄より惨し(むごし)



(ノ18)地を画して趨る

分からぬ 出典を挙げよう

荘子 内篇

第四 人間世篇
 孔子、楚に適(ゆ)く。楚の狂接輿、其の門に遊びて曰く、「鳳や鳳や、何如ぞ徳の衰えたるや。来世は待つ可からず。往世は追う可からざるな り。天下に道有れば、聖人成し、天下に道無ければ、聖人生く。方今の時は、僅かに刑を免かれんのみ。福は羽よりも軽きに、之を載するを知る莫し。禍は地よ りも重きに、之を避くるを知る莫し。已みなんかな、已みなんかな、人に臨むに徳を以てするは。殆ういかな、殆ういかな、地を画して趨ることは。迷陽よ、迷 陽よ、吾が行くを傷つくる無し。吾が行くは郤曲(きゃっきょく)し、吾が足を傷つくる無し。山木は自ら寇するなり、膏火は自ら煎(や)くなり。桂は食(く ら)う可し、故に之を伐る。漆は用う可し、故に之を割く。人皆、有用の用を知るも、無用の用を知る莫きなり」と。

http://katawareboshi01.g.hatena.ne.jp/mori-tahyoue/20100525/1274785607



ノ20)俗を斉え弊を拯い、民嘉せざるなし


知恵袋マスター
fontomanieさん
編集あり2013/5/1122:22:57
「ゾクオトトノエ」「ヘイオスクイ」「タミヨミセザルナシ」
と読みます。

意訳すれば、
世の人のあり方をきちんとさせ、わるいところがよくなるようにしたので、誰一人としてそれ(政治)を歓迎しない者はなかった。

>
よみ・する3 嘉する・好する】
>(
動サ変)
>[
]サ変 よみ・す
>
〔補説〕 「よみ」は形容詞「良し」の語幹に接尾語「み」の付いたもの
>
よしとする。ほめる。
>
其厚意(こころ)・し、情を掛て使ひけるが〔出典: こがね丸(小波)〕
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&stype=1&dtype=0&dname=0ss&...


ク4)声音吁として怕る可し
ヤ14)庇う物を蟎が食う
ヤ16)僮僕 歡び迎へ 稚子候門 稚子 門に候(ま)つ
マ17)吾これを售り,人これを取る
ケ16)車、甚だ沢(ひかり)あれば、人必ず瘁れる
フ19)片言獄を折む


ク4)声音吁として怕る可し

分からぬ 拙ブログにすでにあった



ヤ14)庇う物を蟎が食う

そのままの意味であろう



ヤ16)僮僕 歡び迎へ 稚子候門 稚子 門に候(ま)つ

帰去来から

 帰りなんいざ、田園將に蕪れなんとす:帰去来


帰去来兮辞の本文は四段からなる。一段目は、官を辞し て家に帰る決意を述べ、はやる心で帰路に赴く様を描く。彭沢から故郷の柴桑までは凡そ百里、陶淵明は長江を船で遡った。なお、「帰去来兮」を「かへりなん いざ」と訓読したのは菅原道真である。以後日本の訓読の中で定着した。


(歸去來兮辭)                

  歸去來兮       歸去來兮(かへりなん いざ)
  田園將蕪胡不歸  田園 將に蕪れなんとす 胡(なん)ぞ歸らざる
  既自以心爲形役  既に自ら心を以て形の役と爲す
  奚惆悵而獨悲    奚(なん)ぞ惆悵して獨り悲しむ
  悟已往之不諫    已往の諫めざるを悟り
  知來者之可追    來者の追ふ可きを知る
  實迷途其未遠    實に途に迷ふこと 其れ未だ遠からずして
  覺今是而昨非    覺る 今は是にして 昨は非なるを
  舟遙遙以輕      舟は遙遙として 以て輕し
  風飄飄而吹衣    風は飄飄として 衣を吹く
  問征夫以前路    征夫に問ふに 前路を以ってし
  恨晨光之熹微    晨光の熹微なるを恨む

さあ帰ろう、田園が荒れようとしている、いままで生活にために心を犠牲にしてきたが、もうくよくよと悲しんでいる場合ではない、今までは間違っていたのだ、これからは自分のために未来を生きよう、道に迷ってもそう遠くは離れていない、

船はゆらゆらとして軽く、風はひょうひょうと衣を吹く、船頭にこれからの行き先を問い、朝の光のおぼろげなのを恨む


二段目は、家に帰った喜びと、家でのくつろぎの一時を述べる。家人に迎えられ、好きな酒をのんびりと飲める喜びが語られている。

  乃瞻衡宇      乃ち 衡宇を瞻(あふぎ)み
  載欣載奔      載ち欣び 載ち奔る
  僮僕歡迎      僮僕 歡び迎へ
  稚子候門      稚子 門に候(ま)つ
  三逕就荒      三逕は荒に就(つ)くも
  松菊猶存      松菊は猶ほも存す
  攜幼入室      幼を攜へ 室に入れば
  有酒盈樽      酒有りて 樽に盈つ
  引壺觴以自酌   壺觴を引きて 以て自ら酌し
  眄庭柯以怡顏   庭柯を眄(なが)めて 以て顏を怡(よろこば)す
.
  倚南窗以寄傲   南窗に倚りて 以て傲を寄せ
  審容膝之易安   膝を容るるの安んじ易きを審らかにす
  園日渉以成趣   園は日ゞに渉って 以て趣を成し
  門雖設而常關   門は設くと雖も 常に關(とざ)す
  策扶老以流憩   扶老(つゑ)を策(つゑつ)き 以て 流憩し
  時矯首而游觀   時に首を矯げて游觀す
  雲無心以出岫   雲無心にして 以て岫を出で
  鳥倦飛而知還   鳥 飛ぶに倦みて 還るを知る
  景翳翳以將入   景 翳翳として 以て將に入らんとし 
  撫孤松而盤桓   孤松を撫でて盤桓とす


やっと我が家が見えたので、小走りに向かっていくと、召使いたちが出迎え、幼い子が門で待っている、三本の小道は荒れてしまったが、松菊はまだ元気だ、

幼子を抱きかかえて部屋に入れば、酒の用意ができている、壺觴を引き寄せて手酌し、庭を眺めては顔をほころばす、南の窓に寄りかかって楽しい気分を満喫し、狭いながらも居心地の良さを感じる

庭は日ごとに趣を増し、門は常に閉ざしたままだ、杖をついて散歩し、時に首をもたげてあたりを眺める、雲は無心に山裾からわき上がり、鳥はねぐらに帰ろうとする、日は次第に暗くなってきたが、一本松をなでつつ去りがたい気持ちになる


三段目は、もう一度「歸去來兮」と決意を述べた後で、田園で暮らす喜びを描く。二段目が秋であったのに対し、これは春を歌う。おそらくは、帰郷の翌年に作ったのであろう。

  歸去來兮       歸去來兮(かへりなんいざ)
  請息交以絶遊   交りを息(や)め 以て遊びを絶たんことを請ふ
  世與我以相遺   世 我と 以て相ひ遺(わす)れ
  復駕言兮焉求   復た駕して 言(ここ)に焉(いづく)にか求めん
  悅親戚之情話   親戚の情話を悅び,
  樂琴書以消憂   琴書を樂しみ  以て憂ひを消す
  農人告余以春及  農人 余に告ぐるに春の及べるを以てし
  將有事於西疇   將に西疇に於いて 事有らんとす
  或命巾車      或は巾車に命じ
  或棹孤舟      或は孤舟に棹さす
  既窈窕以尋壑   既に窈窕として 以て壑(たに)を尋ね
  亦崎嶇而經丘   亦た崎嶇として丘を經(ふ)
  木欣欣以向榮   木は欣欣として 以て榮に向かひ
  泉涓涓而始流   泉は涓涓として 始めて流る
  羨萬物之得時   萬物の 時を得たるを羨み
  感吾生之行休   吾が生の 行くゆく休するを感ず

さあ帰ろう、世間との交際をやめよう、自分と世間とは相容れない、なんで再び官吏の生活に戻ることを考えようか。

親戚のうわさ話を喜んで聞き、琴書を楽しんで屈託がない、農夫が春の来たことを告げ、西の畑で農作業を始めた、車に乗ったり、船を操ったりして、深々と した谷を訪ねたり、険しい丘に登ったりする、木々は生い茂り。泉はほとばしる、万物が時を得て栄える中、私は自分の人生が終わりに近づいていくのを
感ずるのだ。


四段目は、自然の恵みに対比して人の命のはかないことを、一種の無常観を以て述べる。陶淵明の人生観がよく現れている部分である。

  已矣乎        已矣乎(やんぬるかな)
  寓形宇内復幾時  形を宇内に寓すること復た幾時ぞ
  曷不委心任去留  曷ぞ心を委ねて去留を任せざる
  胡爲遑遑欲何之  胡爲れぞ遑遑として 何にか之かんと欲す
  富貴非吾願     富貴は吾が願ひに非ず
  帝鄕不可期     帝鄕は期す可からず
  懷良辰以孤往    良辰を懷ひて 以て孤り往き,
  或植杖而耘子    或は杖を植(た)てて耘子す
  登東皋以舒嘯    東皋に登り 以て舒(おもむろ)に嘯き
  臨淸流而賦詩    淸流に臨みて 詩を賦す
  聊乘化以歸盡    聊(ねが)はくは化に乘じて 以て盡くるに歸し
  樂夫天命復奚疑  夫の天命を樂しめば 復た奚をか 疑はん

致し方のないことだ、人間はいつまでも生きていられるわけではない、どうして心を成り行きに任せないのだ、また何故あたふたとして、どこへ行こうというのだ、

富貴は自分の望むところではない、かといって仙人になれるわけでもない、よい日を選んで散歩し、杖をたてて草刈りをしたり、土を盛ったりする、

また東の丘に登っては静かにうそぶき、清流に臨んでは詩を賦す、願わくはこのまま自然の変化に乗じて死んでいきたい、天命を甘受して楽しむのであれば、何のためらいがあろうものか

マ17)吾これを售り,人これを取る
レード
劉基の売柑子者

<原文>
杭有賣果者,善藏柑,涉寒暑 不潰出之燁然玉質而金色。置於市,賈十倍,人 爭鬻之。予貿得其一, 剖之,如有烟撲口鼻。視其中,則乾若敗絮。予怪 而問之曰:「若所巿於人者,將以實籩豆奉祭祀、供賓客乎?將衒外以惑 愚瞽乎?甚矣哉,為欺也!」 賣者笑曰:「吾業是有年矣,吾賴是以食吾軀。吾售之,人取之, 未嘗有言,而獨不足子所乎!世之為欺者不寡矣, 而獨我也乎吾子未之思也! 今夫佩虎符、坐皋比席者,洸洸乎 干城之具也, 果能授孫、之略耶?峨大冠、 托長紳者,昂昂乎廟堂之器也,果能建伊、皋之業耶? 盜起而不知禦,民困而不知救,吏奸而不知禁,法斁而不知理, 坐糜廩粟而不知恥。觀其坐高堂、騎大馬、醉醇醴而飫肥鮮者, 孰不巍巍乎可畏,赫赫乎可象也!又何往而不金玉其外、敗絮其中也哉。今子是之不察,而以察吾柑。」
<口語訳>
杭州に果物を売る者がいて,柑子を上手に保存し、寒さ暑さを経ても 潰れず,出してみれば燦然と輝き,玉のような質感の金色を保っていた。市場に出せば,価格が十倍でも,人は爭ってこれを買い求める。私はその一つを買って 手に入れ,これを開くと,煤煙のようなものが口と鼻を刺激した。その中をみると,それは乾いて古綿のようになっていた。私は怪んでこう問い正した「お前が 人に売った物は,籩豆(へんとう)に盛って,先祖の祭祀に供え、賓客に提供する物なのか?外見を良く見せて衒惑(げんわく)し 愚者や盲人を欺こうというのか?詐欺を行うこと甚だしいものだなあ」 売り手は笑って答えた「私は長年この稼業をしております。私は是によって自分の身を養っているのです。私はこれを売り,人はこれを取り,未だ嘗て文句が 有ったことはありません。獨りあなただけに、不足の品が渡ったのでしょうか?世間には詐欺を行う者が少なくありません。一人私だけ詐欺を行っているので しょうか?あなたは、まだよく考えたことがないのです。今、(兵権のあかしの)虎符を帯び、虎の皮に座っている方は、凛々しくて城を守る将軍の器でしょう が,果たして孫子、子の軍略を授けることができましょうか?大冠を高々と被り、礼服の帯を長く引きずる紳士は,その志操は昂昂と誇り高く、廟堂の器で しょうが、果して伊尹、皋陶に匹敵する業績を上げるでしょうか? 盗賊が盛んに出没していても、その防御を知らず,民が困しんでいるのに、彼らを救うことを知りません。奸まな官吏を禁じることを知らず,法が破たんしてい ても、修復していくことを知りません。ただ坐って穀物(俸禄)を費やして、恥じることを知りません。高殿に座って、大馬に乗り、芳醇な酒に酔って贅沢な食 事に飽きている者をみて, 重々しい態度は畏敬すべきで,輝くばかりの権勢に倣いたいと誰が考えないでしょうか!これも又た、どこに往っても、外側は金の玉で、その中身は腐った古綿 でない物はありましょうか?今、あなたは、彼らを咎めずに,私の柑子を咎めるのです。」
伊尹:殷の湯王の宰相
皋陶: 夏の靡(宰相)
http://www.tonyhuang39.com/page/cc287.html




ケ16)車、甚だ沢(ひかり)あれば、人必ず瘁れる。(p259 左伝)

上の者がぴかぴかの車を乗り回すようになると使用人はたまらない。



フ19)片言獄を折む

へんげん-せつごく【片言折獄】
  • 片言折獄 意味
    ただ一言で人々の納得のいくような裁判の判決を下すこと。また、一方だけの言い分を 信じて、裁判の判決を下すこと。「片言」は一言での意。また、後者の意のときは、一方だけの言い分の意。「折」は「断」と同義で、善悪を折中して判決を 下すこと。「獄」は訴訟のこと。「片言へんげんごくを折さだむ」と訓読する。
  • 片言折獄 出典
    『論語ろんご』顔淵がんえん
  • 片言折獄 故事
    孔子の弟子である子路しろは、一度承諾したことを翌日まで延ばすようなことをしない責任感のある人物で、人々からの信頼が厚かった。孔子も、ただ一言で裁判の判決を下して人を納得させることができる者は、門人の中では子路だけであろうと称賛したことから。



 
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