2014年4月11日金曜日

漢字検定1級 平成25年 第2回 読み取り の難解なものをピックアップ


25B

28  燠(あたたか)なれば即ち趨(おもむ)く

菜根譚(さいこんたん) 前集 121150  洪自誠

饑則附、飽則?、燠則趨、寒則棄。 人情通患也。 君子宜当浄拭冷眼。 慎勿軽動剛腸。 

饑(う)うれば則(すなわ)ち附(つ)き、飽(あ)けば即ち?(あが)り、燠(あたたか)なれば即ち趨(おもむ)き、寒(さむ)ければ即ち棄(す)つ。 人情(にんじょう)の通患(つうかん)なり。 君子(くんし)は宜(よろ)しく当(まさ)に冷眼(れいがん)を浄拭(じょうしょく)す。 慎(つつ)しんで軽(かる)がるしく剛腸(ごうちょう)を動かす勿(なか)れ。



餓えると寄り付き、満ち足りると去り、こちらが景気が良い足を運び、悪いと背を向けている。 これが人間の一般的な欠点だ。 だから、上に立つ者は、沈着冷静で、真実を見抜く目を育てておきなさい。 そして、慎重に人を観て、軽々しく信念を変えてはならない。 つまり、活人は、周囲を安心させるためにも毅然としている必要があるのだ。 言換えれば、活人は何事にも動じてはいけない。


29)物言えば乃ち雍らぐ



30)天の暦数、爾(なんじ)の躬(み)に在り

『論語』の尭曰篇の解説
[白文]1.尭曰、咨爾舜、天之暦数在爾躬、允執其中、四海困窮、天禄永終、舜亦以命禹、曰、予小子履、敢用玄牡、敢昭告于皇皇后帝、有罪不敢赦、帝臣不蔽、簡在帝心、朕躬有罪、無以萬方、萬方有罪、罪在朕躬、周有大賚、善人是富、雖有周親、不如仁人、百姓有過、在予
一人、

[書き下し文]尭(ぎょう)曰わく、咨(ああ)、爾(なんじ)舜(しゅん)よ、天の暦数は、爾(なんじ)の躬(み)に在り。允(まこと)にその中(ちゅう)を執れ。四海困窮。天禄(てんろく)永く終わらん。舜も亦以て禹に命ず。(湯(とう))曰わく、予(われ)、小子履(り)、敢えて玄牡(げんぼ)を用て(もって)、敢えて昭か(あきらか)に皇皇后帝(こうこうこうてい)に告ぐ。罪あるは敢えて赦さず(ゆるさず)、帝臣蔽さず(かくさず)、簡ぶ(えらぶ)こと帝の心に在り。朕(わ)が躬(み)罪あらば、万方(ばんぽう)を以てすること無かれ。万方罪あらば、罪は朕が躬に在らん。周に大賚(たいらい)あり、善人是(これ)富む。周親(しん)ありと雖も仁人に如かず。百姓(ひゃくせい)過ち有らば、予(われ)一人に在らん。

[口語訳]尭が言われた。『ああ、なんじ舜よ。天の運行・運命は汝の一身にかかっている。帝位に就くために程よい中くらいを守るようにせよ。四海の人民は困窮している、天の恵みが永遠に続かんことを』。舜帝もその言葉を禹に命じた。商(殷)の湯は言った。『われ、未熟なる履(湯の名)、ここに黒毛の牡牛をお供えし、はっきりと上帝に申し上げる。「罪ある者(夏の桀王)は許さず。上帝の臣下は隠すことなく、上帝の御心のままに選びます。わが身に罪のあるときは万民に罰を与えないように。万民に罪のあるときは、罰をわが身に与えてください」。周には天のたまものあり、それで善人は富み栄えている。(周の武王は言った)。「濃い血縁関係があっても、仁の人には及ばない。人民に過ちがあれば、その責任は我が身一つにあるのだ」。』 

[解説]古代中国の伝説の聖王である尭・舜・禹の間の「禅譲」について書いており、殷の湯王と周の武王の「仁徳」に満ちた偉大な業績についても記録されている。




恋愛は人世の秘鑰ひやくなり
 


厭世詩家と女性
北村透谷 

 恋愛は人世の秘鑰ひやくなり、恋愛ありて後人世あり、恋愛を抽き去りたらむには人生何の色味かあらむ、然るに尤も多く人世を観じ、尤も多く人世の秘奥を究むるといふ詩人なる怪物の尤も多く恋愛に罪業を作るは、抑も如何いかなる理ことわりぞ。古往今来詩家の恋愛に失する者、挙げて数ふ可からず、遂に女性をして嫁して詩家の妻となるを戒しむるに至らしめたり、詩家豈あに無情の動物ならむ、否、其濃情なる事、常人に幾倍する事著いちじるし、然るに綢繆ちうびう終りを全うする者尠すくなきは何故ぞ。ギヨオテの鬼才を以て、後人をして彼の頭かしらは黄金こがね、彼の心は是れ鉛なりと言はしめしも、其恋愛に対する節操全からざりければなり。バイロンの嵩峻を以ても、彼の貞淑寡言の良妻をして狂人と疑はしめ、去つて以太利イタリーに飄泊するに及んでは、妻ある者、女むすめある者をしてバイロンの出入を厳にせしめしが如き。或はシヱレイの合歓がふくわん未だ久しからざるに妻は去つて自ら殺し、郎も亦た天命を全うせざりしが如き。彼の高厳荘重なるミルトンまでも一度は此轍このてつを履ふまんとし、嶢
げうかく[#「山+角」、63--15豪逸なるカーライルさへ死後に遺筆を梓するに至りて、合歓団欒だんらんならざりし醜を発見せられぬ。其他マルロー、ベン・ジヨンソン以下を数へなば、誰か詩人の妻たるを怖れぬ者のあるべき。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000157/files/45237_19755.html

2014年4月10日木曜日

漢検1級 25年第1回 読み取り の問題文自体が難解なもの


漢検1級 25年第1回 読み取り の問題文自体が難解なものを自分なりに調べた


25年第1回 読み

2) 委蛇として隈澳に傍う(そう)
わいいく

墺  漢検なし
礇   〃

奥は意外にトラップ漢字だった。

奥はイクとも読む。しかし、漢検ではこの音読み採用していない。
奥はオウという読みだけしかない。なぜか分からない。

奥は偏が付くと、イクという音読み。すべてイク

さらに、澳は音訓異義異読で、イク=くま。オウ=おき。

隈澳とは、湾曲して入りこんだ水際。なので文章はヘンです。委蛇が、湾曲しているという意なので。


ぐにゃぐにゃっと水際に沿っている。という文意だが、何が沿っているか不明。

おまけ、襖(ふすま)だけは、オウ。

参考 One On One  http://ameblo.jp/wataruyagawa/


15)風声鶴唳を以て勍敵となす


16) 蕈中の奇は松茸に若くは莫し。

しんちゅう

意味は、キノコの中ではマツタケが最高若くは莫しとは、「及ぶのはない」という最上級の言い回し。

当て字
20−① 香蕈
15−① 〃

しいたけ

覃(たん)という読みが多いが、草冠、竹冠は違うというトラップ

簟席=テンセキ
奇譚=キタン
潭=たん
鐔=たん

蔬中の奇は蕈に如くは莫し。蕈中の奇は松に如くは莫し。松中に又た釘有り、笠有り、傘有り。柏木如亭の「詩本草」

「蕈」は「きのこ」。音読みは「シン、ジン」ですが難しい。「香蕈」(コウジン=香蕈シイタケ)、「松蕈」(ショウジン=松茸マツタケ)。「きのこ」には「茸」「菌」も。「蕈中」は「シンチュウ」と読ませている。次の「松」は「マツタケ」のこと。



17)腥羶(せいせん)の窟に 交臂(こうひ)抒情(じょじょう)せざるなり。

 簡素生活と菜根譚題詞
.....
 将軍の唱えた再建の三原則「都市解体」「農工一体」「簡素生活」を知り、なかでも「簡素生活」、
 これは墨子(節用)、老子(知足)、顔回・原憲(貧楽)、墨・道・儒のミックスで、かつ私の理想
 とする生き方である、于孔兼が洪自誠の著書『菜根譚』に贈った題辞に通じるものだと直感した。
 ここで紹介する于孔兼の隠棲は、まさに西山での将軍の生活そのものを描いているように思える。
.....
.....
  菜根譚題詞 - 三峰主人 于孔兼
  逐客孤踪(ちくかくこそう)し、蓬舎に屏居(へいきょ)して、方以内の人と遊ぶを楽しみ、
  方以外の人と遊ぶを楽しまざるなり。
.....
  妄(みだ)りに千古の聖賢と、五経の同異の間に置辯(ちべん)するも、
  妄りに二三の小子と、雲山変幻の麓に浪跡せざるなり。
.....
  日に漁父、田夫と、五湖の浜(ひん)、緑野(りょくや)の[土幼](おう)に朗吟唱和して、
  日に刀錐(とうすい)を競い升斗を栄とする者と、冷熱の場、腥羶(せいせん)の窟に
  交臂(こうひ)抒情(じょじょう)せざるなり。
.....
  間(まま)、濂洛(れんらく)の説を習う者有らば、之を牧(やしな)い、
  竺乾(じくけん)の業を習う者は、之を闢(ひら)き、譚天雕竜(たんてんちょうりゅう・談天雕竜)の
  辯を為す者は、之を遠ざく。
.....
  此れ以て予が山中の伎倆(ぎりょう)を畢(お)うるに足れり。
.....
.....
  菜根譚題詞 現代語訳(中村璋八・石川力山/講談社学術文庫)
  私の生き方は、来客を断りひとりで行き、粗末な家に閉じこもり、儒教を奉ずる人々と遊ぶのを楽しみ、
  儒教以外の人々と遊ぶのは楽しまない。
.....
  すぐれた聖人や賢人たちと、むやみに儒教の五経についてその異同を論議することはあるが、
  みだりに身近にいる門人達と、変化する雲や山の景色の中を、あてもなく歩きまわるようなことはしない。
.....
  毎日、素朴な漁師や農夫達と、五胡の水辺や緑野の窪地で朗吟し唱和したりするが、
  毎日、わずかな利益を争い、わずかな俸給を名誉とするような人達とは、
  冷熱のすさまじい役人の世界や、互いに奪い合うなまぐさい俗世間で、仲良く付き合おうとはしない。
.....
  時折、宋の儒者達の道学を習おうとする者があれば、これを育て養い、仏教の教えを習う者には、
  その間違いを指摘して導いてやり、大言壮語する嘘つき連中はこれを遠ざける。
.....
  このような生活態度は、私の山林における生き方を全うするのに十分である。
.....
.....

せい‐せん【××羶】

1.           なまぐさいこと。
2.            「土穴に―の気がある」〈鴎外魚玄機

ぎょ‐げんき【魚玄機】
844ころ~871ころ]中国、唐代末の女流詩人。長安の人。字(あざな)は蕙蘭(けいらん)・幼微。詩文の才能で有名になり、女道士となったが、召使いの女を殺して死刑になった。森鴎外の小説「魚玄機」の主人公。
今弟の語
ことば
を聞いて、小婢
しょうひ
の失踪したのと、土穴に腥羶
せいせん
の気があるのとの間に、何等かの関係があるように思った。そして同班の卒数人と共に、
すき
を持って咸宜観に突入して、穴の底を掘った。緑翹の屍は一尺に足らぬ土の下に埋まっていたのである。
zora.gr.jp/cards/000129/files/2051_22886.html



20) 好言は口よりし、莠言も口よりすの意味

 立派なよい言葉は口から出る物だが、悪い有害な言葉もまた、口から出ること。「好言」よいことば。「莠言」有害な言葉。「莠」水田に生える有害な雑草。



19)気風春日の煦育するがごとし


12)恋愛は人生の秘鑰(ひやく、秘密を解く鍵のこと)なり




恋愛至上主義(れんあいしじょうしゅぎ)とは、恋愛を人間における最高の価値と考える思想・思考形態を指す。


日本においては、明治時代の北村透谷の思想が恋愛至上主義のはしりである。北村は、「厭世詩家と女性」で、「恋愛は人生の秘鑰(ひやく、秘密を解く鍵のこと)なり、恋愛ありて後人生あり、恋愛を描き去りたらむには人生何の色味かあらむ」と主張し、恋愛至上主義の立場を鮮明にした。
透谷の思想はニューイングランドから渡ったものであり、キリスト教徒である北村が、恋愛に自由と理想を求めたことがこの言説の背景にあった。
大正時代、厨川白村エレン・ケイの影響を強く受け、『近代の恋愛観』を著し、「恋愛は悠久永遠の生命の力がこもる」という言葉が当時の若者を魅了した。恋愛のない見合い結婚を「売春結婚」であり「畜生道」にすぎないと非難、日本には古来より「恋愛至上」の思想があると主張し、恋愛結婚を理想化して話題になった。
恋愛至上主義は、精神的な恋愛を神聖視して、肉体的な恋愛は否定する。そのような恋愛を至上のものとするため、かならずしも結婚に拘泥しない。情熱が切れれば分かれなければならない。また、パートナーを得るかどうかも関係が無い。たとえ片思いであっても、心の底からの「情熱こそがすべて」であるのが恋愛至上主義である。