2014年5月16日金曜日

漢検1級 故事成語 平成24年度の問題で難しかった所


24年第3回


麝香も嗅げば脳に入る

麝香とは
甘く強い香気を持つ褐色粉末方では奮剤、強心剤など生としても用いる。
雄のジャコウジカの下部にある麝香嚢と呼ばれる部分を燥させて採取する。
麝香を採取するために、ジャコウジカは大量に殺され、絶滅危機してしまっている。
現在はワシントン条約の規制を受けて、商業的の際取引が禁止されている。
なので、香料用途で現在流通しているのは、合成された麝香類似物質がどである。
また、現在ではジャコウジカを殺さないように麝香が採取されている。
英語のムスク(musk)は、もともと睾丸に由来するだが、麝香嚢は睾丸じゃないので心してください。
繁殖期に発達する部分だけど…。


天下に忌諱(きき)多くして、民弥々(いよいよ)貧し

老子 第五十七章
正を以()って国を治め、奇を以って兵を用い、無事を以って天下を取る。吾れ何を以ってその然るを知るや。これを以ってなり。それ天下に忌諱(きき)多くして、民弥々(いよいよ)貧し。民に利器多くして、国家滋々(ますます)(みだ)る。民に知恵多くして、邪事(じゃじ)滋々起こる。法令滋々彰(あき)らかにして、盗賊多く有り。故に聖人は云()う、我()れ無為にして民自(おのずか)ら化()す。我れ静を好みて民自ら正し。我れ無事にして民自ら富む。我れ無欲にして民自ら樸(ぼく)なりと。

ー天下多忌諱、而民彌貧ー   老子 第五十七章
{原文}
天下多忌諱、而民彌貧、
民多利器、國家滋昏。

{書き下し文}
 天下に忌諱多くして、民いよいよ貧し、
民に利器多くして、國家ますます昏し。

{意解}
世の中に禁令が多くなると、人民はいよいよ貧しくなる。
人民の間に文明の利器が多く使われるようになると、
国家はいよいよ混乱する。

紀元前の中国の時代から、「これしちゃいけない、あれしちゃいけない」
と禁令だらけでは、新たなものに挑戦しようという意欲が失われ、
それが国家の痛手だと言われていたんですね。

生活が便利になれば、国は豊かになりそうですが、
利器に振り回されて、
本来のものを失ってくるという警告です。




桂林の一枝,崑山の片玉 【けいりんのいっしこんざんのへんぎょく】

〔「晋書 郤伝」の,晋の郤(げきしん)が賢良の試験で第一等となり,雍州の官吏に任ぜられた時,武帝の問いに,桂林の一枝,崑崙山の玉の一片を得たにすぎないと言った故事から〕
わずかばかりの出世。また,科挙に合格することのたとえ。


だいは棟梁とうりょうと為し小しょうは榱桷すいかと為なす

 故事ことわざの辞典によると、《「棟梁」は、建て物のむねやはり。「榱桷」は、たるき》 大きい材はむな木やはりとして用い、小さいのはたる木にする。才能に応じてふさわしい場所に人を登用することのたとえ。参考に、漢検漢和辞典の音訓索引で「たるき」を見ると、「桷」「椽」「榱」が掲載されていました。 



窈窕たる淑女は君子の好逑 ようちょうたるしょくじょはくんしのこうきゅう

窈窕たる淑女は、ミサゴの妻のように、君子の妻とするに相応しいものだ


關雎(壺齋散人注)

  關關雎鳩  關關たる雎鳩は
  在河之洲  河の洲にあり
  窈窕淑女  窈窕たる淑女は
  君子好逑  君子の好逑

  參差行菜  參差たる行菜は
  左右流之  左右に之を流(もと)む
  窈窕淑女  窈窕たる淑女は
  寤寐求之  寤めても寐ねても之を求む

  求之不得  之を求むれども得ざれば
  寤寐思服  寤めても寐ねても思服す
  悠哉悠哉  悠なる哉 悠なる哉
  輾轉反側  輾轉反側す

  參差行菜  參差たる行菜は
  左右采之  左右に之を采る
  窈窕淑女  窈窕たる淑女は
  琴瑟友之  琴瑟もて之を友とせん

  參差行菜  參差たる行菜は
  左右撰之  左右に之を撰(えら)ぶ
  窈窕淑女  窈窕たる淑女は
  鍾鼓樂之  鍾鼓もて之を樂しましめん

和やかに鳴きあうミサゴの夫婦が川の中州にいる、窈窕たる淑女は、ミサゴの妻のように、君子の妻とするに相応しいものだ

生い茂った水菜は左右に求めて食卓を飾るべきものだ、窈窕たる淑女は、目覚めていても寝ていても、求めに求めて伴侶にすべきものだ

窈窕たる淑女を求めて得ることができないならば、目覚めていても寝ていても残念に思うべきだ、ああ残念のあまり、身のもだえる思いがする

生い茂った水菜は左右に摘んで食卓を飾るべきものだ、窈窕たる淑女は、琴瑟を以てもてなすべきものだ

生い茂った水菜は左右に選び取って食卓を飾るべきものだ、窈窕たる淑女は、鍾鼓を以て楽しんでもらうべきものだ


この詩は、配偶者を求めて歌っていることから、中国人にとっては古来、婚礼の席で歌うべきめでたい歌だとされてきた、

關關とは毛伝に和声をさすとある、ミサゴの夫婦が互いに応じあって声を交わすさまを表しているのであろう、ミサゴに限らず鳥は夫婦仲が良いものであるから、人の婚礼のめでたさを飾るのに相応しい、

また窈窕とは、つつしみ深い美しさをさす、中国人にとって、婦人としてあるべき理想を表わした言葉であった、だから詩の中では、そのような婦人は寝ていても覚めていても求めるべきだといっているのである、


詩経国風に出てくる十五の国・地方のうち、最初に位置するのは周南である。周南は次に出てくる召南とともに、周の南の地域の歌謡を集めたものだとされる。周の始祖后稷から数代を経た時、周は故地を分かちて、周公と召公とにそれぞれ治めさせた。いづれも今の陝西省の地域に属する。周は後に華北全体を覆う大帝国となるが、そのなかでも陝西省にあった周と召とは、国家の中核をなすところだったのである。

この周南篇に収められた作品は、いづれをとってみても、高い格調を感じさせる。中でも冒頭を飾る「關雎」は「窈窕の章」とも称され、古来漢詩の精髄ともみなされてきたものである。蘇軾もあの「赤壁の賦」を、この歌への言及を以て始めている。

窈窕の章:淑女を歌う(詩経国風:周南)
http://chinese.hix05.com/Shikyo/shikyo101.html




平成24年 第2回


禿筆(とくひつ)を呵()・す

穂先の擦り切れた筆に息を吹きかけて書く。転じて、下手な文章を書く
とく‐ひつ【×禿筆】
穂先の擦り切れた筆。ちびた筆。また、自分の文章や筆力を謙遜していう語。

か・す 【呵す】
サ変
かする

gooの辞書で調べてみますと、


か・する 【呵する】 

1.しかる。なじる。
「愚行を―・する」
2.息を吹きかけてあたためる。
「禿筆(とくひつ)を―・する(=寒イ時ニ文章ヲ書ク)」



痛処(つうしょ)に針錐(シンスイ)を下す。 

意味:腫れ物などの痛いところに針や錐(きり)を立てることから、人の欠点を鋭く指摘して戒めるたとえ。

人の弱点を鋭く指摘して戒めることのたとえ




倚門の望  いもんのぼう

《「戦国策」斉策から》外出した子の帰りを待ちわびる母の愛情。倚閭(いりょ)の望。倚門の情。

【倚門之望】 いもんのぼう
子供の帰りを待ちわびる母親の気持ちを表した四字熟語です。

【倚門】は門によりかかることを言います。
【望】は、待ち望むという意味になります。

春秋時代斉の王孫賈(オウソンカ)に母が言った言葉です。

『戦国策』斉下 閔王(ビンオウ)にでています。

  王孫賈(オウソンカ)は15歳で斉の閔王に仕えたが、閔王が出奔(B.C.284)して
  居場所がわからなくなってしまいました。

  王孫賈の母曰く、

  汝(なんじ)朝に出でて晩(くれ)に来たれば、則(すなは)ち吾門に倚(よ)りて望み、
     おまえが朝出掛けて夕暮れに帰ってくるとき、門に倚って待ち、
  汝暮れに出でて還(かえ)らざれば、則ち吾閭(リョ)に倚(よ)りて望む。
     夕暮れに出掛けたまま帰ってこないと、村里の門(閭)に倚って待っていた。

  汝今王に事(つか)え、王出でて走りて、汝其の処を知らず。
     なのに王がどこにいるのかもわからないのによく帰ってこられたものだね。

  王孫賈は市中に行って、「淖歯(トウシ)が斉の国に乱を起こし、閔王を殺した。
  私と一緒に誅戮(チュウリク)しようと思う者は、右肩を膚脱ぎになれ、と呼びかけました。

  すると、市の人が400人ほどがついて来た。
  王孫賈はこの人達とともに淖歯を誅戮に行き、突き刺して殺しました。

純粋に子供の帰りを心配しているのとは、ちょっと違う様な内容に思えます。

今日は「こどもの日」です。 昭和23年(1948年)に制定されました。
こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する日とも規定されています。

『端午の節供』とも言われています。
「端」は物のはし、つまり「始り」という意味で、「端午」は月の始めの午の日の意味ですが、「午」は「五」に通じることと、月と日の数字が重なる55日を特に「端午の節供」と呼ぶようになったそうです。

八重樫 一 (やえがし・はじめ)




老蚌生珠 ろうぼうせいしゅ
老蚌珠を生む

ごく普通の親から優れた子が生まれることのたとえ。
または、年老いてから子を授かること。
「蚌」は貝の一種のドブガイのこと、「老蚌」は老人のたとえ。
ドブガイが美しい真珠を生み出すという意味から。
孔融「与韋端書」



鬼臉を被って稚児を威す

(鬼の面を被って子どもをおどす意から)地位、勢力をたのんで人をおどすたとえ。また、虚勢をはって後進のものをおどすたとえ。


水随方円 すいずいほうえん
【水は方円の器(うつわ)に随(したが)う】と訓読みされます。
方(四角い器)に水を入れれば水も四角い形になり、円(丸い器)に水を入れれば水も円い形になります。ということから、人も環境や友達いかんで良くも悪くもなるということを表す四字熟語です。

『韓非子』外儲(ガイチョ)説左上第三十二に、孔子が言うにはとして

君は盂(ウ)の如く、民は水の如し

人君たる者は、猶(な)ほ盂(ウ)のごとく、民は猶ほ水のごとし。盂方(ウホウ)なれば水方(みずホウ)に、盂圜(ウエン)なれば水圜(みずエン)なり、と。
 君主たるものは、たとえば盆のようなものであり、民はたとえば水のようなものである。盆が四角ならば水も四角になり、盆が丸ければ水も丸くなる。


垂拱して天下治まる  (すいきょうしててんかおさまる)

君主が取り立てて策を施すことなく、人々のなすがままにしておいても天下がよく治まることで、周の武王の治世を言った言葉で、古代中国の政治の理想的な状態である。

すいきょう 【垂×拱】
 [名](スル)《衣の袖を垂れ、手をこまぬく意から》何もしないでいること。多く、天下のよく治まるたとえに用いる。
「所謂政府なる者は言わば唯南面するのみと謂うも可なりと」〈西周明六雑誌四〇〉




縲絏(るいせつ)の辱め

縲絏・縲紲 るい せつ
〔「縲」は黒縄,「絏」「紲」はしばる意〕
罪人をしばる縄。また,獄につながれること。
  -の辱めを受けて獄中にあるや/妾の半生涯 英子



蹄窪の内、蛟竜を生ぜず

【蹄窪】テイワ 牛馬の足跡のくぼんだところ。
蹄窪之内不生蛟龍  牛馬の蹄跡の窪んだ所には蛟龍は生じない。小さな土地には大人物は出ないたとえ。 <出典、新論・觀量>

そしてこの後続く言葉が、
培塿之上、不植松柏
培塿(ほうろう)の上、松柏を植えず。 広漢和辞典(下巻)・大修館書店
部婁(ほうろう)には松柏無し。  
 狭苦しいこせこせしたところには大人物は育たないということのたとえ。こちらの出典は「春秋左氏伝」です







平成24年第1回


煤掃きの米櫃(すすはきのこめびつ)

 隅におけない、というしゃれ。

 ふだん隅におかれている米びつも、
すす掃きのときには、引きだして掃除することから言う。


用例:そうひやかされては、煤掃きの米櫃といふ所で、すみにや置かれねえ。



命を知るものは巌牆(ガンショウ)の下に立たず。

天命を真に知る者は,みだりにくずれかかった石垣の下のような危険な場所には立ち寄らない。天の命に従う者はまた不注意による危険を犯したりなどはしないものである。

巌牆(ガンショウ)の下   がんしょうのもと
危険な場所を喩えた言葉。 
巌はそそり立った岩のことで、牆は石や土で築いた細長い塀のこと。 
どちらもいつ崩れるかわからないものであるから、その下は危険であるという意になる。 
孟子の尽心章句上に登場する。
出典・参考・引用  「孟子」尽心章句上




穏座(オンザ)の初物
盛りを過ぎるころの果物,野菜などは,かえって,出はじめの初物のように珍重されるということ。物事の終わりが良いとき,また,年老いてその知識,芸能などが大成したときなどのたとえにもいう。

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