故事成語②より不明な点を自分なりに調べてみた。
この項目に出て来る故事成語
瑾瑜は瑕(きず)を匿(かく)し、 国君は垢(はじ)を含む 両葉去らずんば斧柯を用うるに至る 凱風南よりして彼の棘心を吹く 槿花一朝の夢 倹約と吝嗇(りんしょく)は水仙と葱(ねぎ) 端倪すべからざる 瑾瑜は瑕(きず)を匿(かく)し、 国君は垢(はじ)を含む 三十の輻(ふく)、一つの轂(こく)を共にす。その無に当たりて、車の用あり。
この項目に出て来る故事成語
瑾瑜は瑕(きず)を匿(かく)し、 国君は垢(はじ)を含む 両葉去らずんば斧柯を用うるに至る 凱風南よりして彼の棘心を吹く 槿花一朝の夢 倹約と吝嗇(りんしょく)は水仙と葱(ねぎ) 端倪すべからざる 瑾瑜は瑕(きず)を匿(かく)し、 国君は垢(はじ)を含む 三十の輻(ふく)、一つの轂(こく)を共にす。その無に当たりて、車の用あり。
瑾瑜は瑕(きず)を匿(かく)し、
国君は垢(はじ)を含む
瑾瑜匿瑕 (きんゆ とくか):
すぐれた才のある立派な人物でも小さな弱点くらいあるもので、問題にはならないということのたとえ。
「瑾」と「瑜」はどちらも美しい宝石の名前。
「瑕」は傷やひびという意味から、弱点や欠点のたとえ。
全体が素晴らしい宝石に小さな傷があっても、価値は下がらないという意味から。
「瑾瑜、瑕を匿す」とも読む。
きれいな宝石にも小さな瑕があり、君主にも垢があります。
小さな欠点にこだわってはいけませんよ)」から、名前(瑜)と呼応させている
(周瑜(周公瑾) > 孫権に宛てた遺書)
「十五年春、公孫帰父は楚子と宋にて会す。宋人は楽嬰斉をして晋に急を告げさしめる。
晋侯は之(これ)を救わんと欲す。
伯宗は曰く、不可なりと。古人の言に有りて曰く、
鞭の長きと雖も、馬の腹に及ばず。天は方(まさ)に楚に授くに、未だ与(とも)に争う可からず。
晋の彊(つよ)きと雖も、能く天に違わん乎。
諺に曰く、高下は心に在りと。
川沢は汚(けが)れを納(い)れ、山藪は疾(きず)を蔵(かく)し、瑾瑜は瑕(きず)を匿(かく)し、
国君は垢(はじ)を含むは、天の道也(なり)。君は其れ之を待てとし、乃ち止む。」
「宣公十五年の春に、魯の公孫帰父は楚の荘王と宋で会いました。宋側は楽嬰斉をつかわして
宋の急をつげさせました。晋の景公はこれをたすけてあげようとしました。
部下の伯宗は、
「いけません」といいました。「昔の人は、どんなにムチが長くても、馬の腹までは
とどきませんといっています。天がまさに楚の味方をされているときに、いっしょになって
戦争をしてはいけません。晋がいくら強くても、天にはさからえないのです。ことわざでも、
たかいひくいは心が決めること、といいます。
川や沢にはきたない泥水もまざっており、
山や藪はおそろしいわざわいを内包しており、すばらしい宝玉も小さなキズを隠しており、
国の王さまもときには恥をのむことは、天にきめられたありかたなのです」。
(伯宗がこう言ったので、晋の景公は)救援をだすのを中止しました。」
両葉去らずんば斧柯を用うるに至る
(りょうばさらずんばかふをもちうるにいたる)
禍(わざわい)の種子は、
小さいうちに取り除いておかないと大変なことになる。
類:●両葉去らずんば斧柯を用うるに至る
出典:「六韜−守土」「両葉不去、将用斧柯」
凱風南よりして彼の棘心を吹く
(がいふうみなみよりしてかのきょくしんをふく)
母親が愛情を持って子供を温かく見守り育てることのたとえ。
「凱風」万物を成長発育させる暖かい南風で、母の慈愛を表す。「棘心」棘のあるいばらの木の芽生えで、手のかかる子を表す。
槿花一朝の夢 きんかいっちょうのゆめ
〔白居易「放言」の「松樹千年終是朽,槿花一日自為レ 栄」から〕
この世の栄華のはかないことのたとえ。槿花一朝の夢。
「 槿花一日(いちじつ)の栄(えい)
」に同じ。
その詩では、「松樹千年終(つい)に是(こ)れ朽(く)つ」(千年の松の木でもついには枯れる)と対句になっていて、槿の花のようにはかないものでも、一日の間は栄える、という用い方になっている。
また、「小人(しょうじん)槿花の心」(孟郊の詩)と、変わりやすい心をたとえるのもある。
いずれにせよ、得意満面時めいていても長くは続かない。槿花一朝、冷たい風が身にしみるようになる。
全国漢文教育学会長
石川 忠久
http://www.minyu-net.com/serial/yoji-jyukugo/yoji0216.html
倹約と吝嗇(りんしょく)は水仙と葱(ねぎ)
無駄遣いしないことと過度に物惜しみすることとは、水仙と葱のようによく似ているが、実態はまったく異なるものであるということ。
倹約と吝嗇
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「倹約と吝嗇は水仙と葱」という。倹約することと、けちとは、水仙と葱のように似通うところがあるようで、実はまったく違うという意味である。
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貝原益軒の次の言葉は、両者を分けて明確である。「身に奉ずること薄きを倹約とし、人に奉ずること薄きを吝嗇とす」
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倹約については、伊達政宗がおもしろいたとえをしている。「倹約の仕方は不自由を忍ぶにあり、この世に客に来たと思えば何の苦もなし。朝夕の食事は、うまからずとも誉めて食うべし。元来、客の身なれば好き嫌いは申されまい」
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「出すのは袖から手を出すのも嫌だ」というほどの旦那なのに、なんと今朝の味噌汁には実が入っている。使用人たちが喜んで椀の中の実をつまもうとするが、できない。汁が薄すぎて、自分の目玉が映っていたのだ。屋号が吝嗇屋、名前が吝兵衛という落語「味噌蔵」の主人は留守中、使用人たちに仕出しを頼んでどんちゃん騒ぎをされてしまう。
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倹約は美徳だが、吝嗇となると“我利我利亡者”として爪はじきされるか、落語のネタにされるのがオチだろう。倹約家といわれても、吝嗇家とはいわれたくない。
端倪すべからざる たんげいすべからざる
たん‐げい 【端×倪】
瑾瑜は瑕(きず)を匿(かく)し、
国君は垢(はじ)を含む
きれいな宝石にも小さな瑕があり、君主にも垢があります。
小さな欠点にこだわってはいけませんよ)」から、名前(瑜)と呼応させている
(周瑜(周公瑾) > 孫権に宛てた遺書)
「十五年春、公孫帰父は楚子と宋にて会す。宋人は楽嬰斉をして晋に急を告げさしめる。
晋侯は之(これ)を救わんと欲す。伯宗は曰く、不可なりと。古人の言に有りて曰く、
鞭の長きと雖も、馬の腹に及ばず。天は方(まさ)に楚に授くに、未だ与(とも)に争う可からず。
晋の彊(つよ)きと雖も、能く天に違わん乎。諺に曰く、高下は心に在りと。
川沢は汚(けが)れを納(い)れ、山藪は疾(きず)を蔵(かく)し、瑾瑜は瑕(きず)を匿(かく)し、
国君は垢(はじ)を含むは、天の道也(なり)。君は其れ之を待てとし、乃ち止む。」
「宣公十五年の春に、魯の公孫帰父は楚の荘王と宋で会いました。宋側は楽嬰斉をつかわして
宋の急をつげさせました。晋の景公はこれをたすけてあげようとしました。部下の伯宗は、
「いけません」といいました。「昔の人は、どんなにムチが長くても、馬の腹までは
とどきませんといっています。天がまさに楚の味方をされているときに、いっしょになって
戦争をしてはいけません。晋がいくら強くても、天にはさからえないのです。ことわざでも、
たかいひくいは心が決めること、といいます。川や沢にはきたない泥水もまざっており、
山や藪はおそろしいわざわいを内包しており、すばらしい宝玉も小さなキズを隠しており、
国の王さまもときには恥をのむことは、天にきめられたありかたなのです」。
(伯宗がこう言ったので、晋の景公は)救援をだすのを中止しました。」
三十の輻(ふく)、一つの轂(こく)を共にす。その無に当たりて、車の用あり。
車輪というものは三十本の輻(や)が真ん中の轂(こしき)に集まって出来ている。その轂に車軸を通す穴があいているからこそ車輪としての用を為すのだ。(老子)
もう少し詳しく・・・
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漢字を学び心を育む より
轂
コク
こしき、くるま、あつ(める)、しめくく(る)、お(す)
【解字】形声。車+殻。音符の殻コクは、中空が「から」の意味。車軸を囲むように中空になっている部分、こしきの意味を表す。
1. こしき。車輪の中央にあり、軸を通して、や(輻フク)の集まっている所。
2. 車。車両。
3. あつめる。しめくくる。
<新漢語林より>
まずは、用語の説明から。
「轂コシキ」とか「輻ヤ」は、牛車ギッシャを構成する部品の一つである。
轂=ハブ(hub)、中枢、集線
輻=スポーク(spoke)
図書館で白川静先生の「字統」で調べてみる。
轂
形声。声符は殻。殻は脱穀したのちの殻で、中の空虚なものをいう。
「輻ヤの湊る所なり」という。車軸の輻の集るところは轂。
[老子、第十一章]「三十輻プク、一轂コクを共にす。其の無なるに當りて、車の用有り」
その虚中のゆえにはたらきをなすものであるから、
とあり、轂中空虚にして、回転が可能であることをいう。
輻
形声。声符は畐。「輪轑リンレウなり」とあり、車輪の中の矢の意である。
[周礼、孝工記、輈人]に「輪の輻三十、以って日月に象るなり」とあり、放射状の輻によって、車輪を支える。車轂のところにそれが集中するので、四方より物資などが集ることを輻湊、また輻輳という。
なるほど、これでやっと下の熟語の意味がわかりました。
輻輳 ふくそう
ものが一ヶ所に集中して混雑している状態のこと。IT分野では、電話回線やインターネット回線において利用者のアクセスが特定の宛先に集中することにより、通常行えるはずの通話・通信ができなくなる状況を指す。俗に「回線がパンクする」と表現される状態。
原典
三十輻共一轂。 三十の輻(ふく)、一つの轂(こく)を共にす。
當其無、有車之用。 その無に当たりて、車の用あり。
埏埴以爲器。 埴(つち)を埏(こ)ねて以(も)って器を為(つく)る。
當其無、有器之用。 その無に当たりて、器の用あり。
鑿戸牖以爲室。 戸牖(こゆう)を鑿(うが)ちて以って室(しつ)を為る。
當其無、有室之用。 その無に当たりて、室の用あり。
故有之以爲利、無之以爲用。 故(ゆえ)に有の以って利を為すは、無の以って用を為せばなり。
當其無、有車之用。 その無に当たりて、車の用あり。
埏埴以爲器。 埴(つち)を埏(こ)ねて以(も)って器を為(つく)る。
當其無、有器之用。 その無に当たりて、器の用あり。
鑿戸牖以爲室。 戸牖(こゆう)を鑿(うが)ちて以って室(しつ)を為る。
當其無、有室之用。 その無に当たりて、室の用あり。
故有之以爲利、無之以爲用。 故(ゆえ)に有の以って利を為すは、無の以って用を為せばなり。
車輪というものは三十本の輻(や)が真ん中の轂(こしき)に集まって出来ている。
その轂に車軸を通す穴があいているからこそ車輪としての用を為すのだ。
器を作るときには粘土をこねて作る。
その器に何もない空間があってこそ器としての用を為すのだ。
戸や窓をくりぬいて家は出来ている。
その家の何もない空間こそが家としての用を為しているのだ。
だから何かが「有る」という事で利益が得られるのは、「無い」という事が影でその効用を発揮しているからなのだ
伊勢白山道氏の解説
*空を知る者は、「成す」ことが出来ます
つまり、色んな物が生きて役立つのは、そこに「空」が存在するからなのです。
これは物だけではなくて、人間も含めた森羅万象すべてに言える真理(道)なのです。
だから心に「空」を心掛ける者、この道理を知っている者は、自由自在に生きられます。
原文
(感想)
この十一章は、普通は簡単だと学者には思われるかも知れません。普通のアタリマエの道理を老子が言ったと思われるでしょう。
しかし私には、感動的な真理を老子が伝達していると感じます。
老子はいとも簡単に、密教の真理を開陳しています。
老子は、世の中の物事が上手く回ること、人間が便利に生きられること、そこには見えない存在・・・空、犠牲者、影の功労者、名も無き者たち、・・・・「見えないお蔭様」が存在することを知りなさい、と言っています。
また、「陰」=影=無=何も無いこと、があるからこそ「陽」=存在するのです。
陽・陰思想とは言わずに、陰・陽思想と呼ぶのは、先に「陰」が必要なのです。
もっと砕いて言えば、要は貧乏ならば、後は金持ちに成れるのです。
いや、そんなことは無い、そんなバカな甘いもんじゃない、と誰もが思うでしょう。
しかし老子が、「何も無いということを深く心底認識すれば、人間ならば後は頑張るしかないでしょう」
と言っているようにも感じます。
もし、貧乏が嫌で奮起して頑張って、わずかでも何かをその人が得れば、
「それは最初に貧乏が存在した御蔭でもあるわけです」。
つまり老子は、「君たちは、何もないこと、空の“有り難み”に気付いているのかね?
それを本当に認識すれば、無が生きて有に転ずるのだよ。無から有が生じるのです。」
また、
「人間は、心を空・カラにして生きなさい。心がカラならば、あとは知恵が入って来るしか無いのです。
自分の心を悩みで満たしていれば、良い考えが入って来られません。」
このように私には響いて来ます。
無心で居れば、心身が強く成るのです。
悩み過ぎて、悩みで心を満たしていては、何も良いことがありません。
「柔よく剛を制す」と言うように、無心は、その人間にとって最善を起こします。
無心で、目の前の出来ることを頑張りましょう。
生かして頂いて ありがとう御座位ます
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