2014年3月9日日曜日

平成22年 漢字検定1級 第3回の故事成語の分からない所の私のお勉強

月と鼈(すっぽん)
 形の丸いことはちょっと似ているけれど、実は比較人ならないほど違いがある。差の大きいことのたとえ。
 「鍋蓋(なべぶた)とすっぽん」というのがある。


空家で声嗄らす
  無駄な骨折りをすることのたとえ。人がいない空家で声を嗄らすほど大声で怒鳴っても返事がないことから、無駄な骨折りを繰り返している人に対する皮肉として用いられる。


人生根帯無く 瓢(ひょう)たること陌上(はくじょう)の塵(ちり)のごとし
 意味:人生は市中の塵のようなものだ。

 「盛年重ねて来たらず」「歳月人を待たず」という故事成語がある。若いうちに一生懸命勉強しておくべきだという意味である。この語句は,陶濳(陶淵明)の『雑詩十二首』の第一首の中にある語句で,次のような詩である。

 人生根帯無く 瓢(ひょう)たること陌上(はくじょう)の塵(ちり)のごとし  
 分散し風を逐(お)って転じ此れ已に常の身に非ず  
 地に落ちて兄弟となる  
 何ぞ必ずしも骨肉の親のみならん  
 歓を得ては当に楽しみを作(な)すべし  
 斗酒(としゅ)比鄰(ひりん)を聚(あつ)む
 盛年重ねて来たらず  
 一日(いちじつ)再び晨(あした)成(な)り難(がた)し 
 時に及んで当に勉励すべし  
 歳月は人を待たず
 
 この詩は,酒が好きな陶濳(陶淵明)の酒の詩で,人生は市中の塵のようなもので,どこに吹き飛ばされていくか分からない。この身はどこに行くか分からない。だから,人はみな兄弟だ。うれしいときは楽しみ会うべきで,酒一斗を買い,隣近所の者を集めるのだ。年若き時は二度と来ない。一日にうちに朝は二度とはない。だから,時期を逃さず,努めて楽しむのだ。歳月は過ぎ行き待ってくれやしない。(だから若いうちに遊ぶのがよい。)と,酒を飲んで楽しもうという詩である。後世の人は,この詩の最後の四句だけを切り取って,直ぐに年とってしまうから,若いうちに大いに勉強しなさいという教訓にしてしまった。陶濳がこのことを知ったら,さぞ怒ったであろう。

 実は,陶濳のこの考え方は,後漢の時代にできた作者無名の「古詩十九首」(其の十五)にある。この詩の吟詠は一誠流の教本にもあって,吟を教わったが,人生は百にも足りない,だから若いうちに大いに遊ぼうという詩である。夜が長いと苦にせず,燭を持って遊べばいいではないか。遊ぶ金を節約するのは,愚者のすることだ。後世の笑い者となる。仙人となって長生きした王子喬(おうしきょう)のように長生きすることはできないのだからという詩である。

ところで,この詩の中の「何ぞ燭を持つて遊ばざる」を李白は,『春夜桃李の園に宴するの序』の中で取り入れている。
 
夫(そ)れ天地は万物の逆旅(げきりょ)にして,光陰は百代の過客(かかく)なり。
しかして浮生は 夢のごとし。
歓を為(な)す幾何(いくばく)ぞ。
古人燭(しょく)を秉(と)って夜遊ぶ 。
良(まこと)に以(ゆえ)有るなり。(以下略す)
 
 酒の好きな陶濳や李白は,この古詩が気にいったに違いない。

 程 明道(ていめいどう)の詩,『秋日偶成』の中に,「富貴にして淫(いん)せず貧賎(ひんせん)にして楽しむ」という句があり,私は,気にいっていたが,よくよく考えてみれば,現代では貧賎では楽しめないことが分かってきた。習いごとでも旅行でもすべて金がかかる。だから,金銭に無縁の小生にとっては,遊びたくても遊べないことが多い。生まれ故郷の台南市に一度でいいからいってみたいと思うが,いまだにそれが果たせないでいる。少年時代から高校生まで育った故郷にも帰りたい,が,帰れない。若いころサイクリングした思い出の地にもあちこち行ってみたいと思うが,行けないのである。酒は下戸なので,飲めないし。

 陶濳にせよ李白せよ程明道にせよ,彼らは,大富豪ではないにせよ,こういう詩を作る人は,もともと金銭面で余裕のある人だ。だから,こういう粋なことが言えるのだろうと思う。ああ小生ときたら,情けなや,情けなや。詩吟とオカリナの練習をしたら,家庭菜園にでも出かけ,草でもむしるとしようか。それとも近くの沼にでも釣りに行くとしようか。 

「陌」は道の意



鷦鷯巣於深林、不過一枝(鷦鷯、深林に巣くうも、一枝に過ぎず
http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/hitori/sasakikou.htm 佐々木・鷦鷯についての雑考
〔荘子 逍遥遊〕
ミソサザイは大きな林に巣を作っても,一枝しか必要としない。人は自分の分に応じて現状に満足するのがよい,というたとえ。
::Desktop:misosazai.jpg
鷦鷯(「しょうりょう(旧カナではセウレウ)」とも訓)という漢字があてられるこの鳥は、わが国では北海道から九州まで広く分布する留鳥で、おもに山地の水辺に多くに住んでいて、概ね全長10センチほど翼長5センチほどの大きさとされる。ユーラシア産は一種だけで、背面は焦茶色、腹面は淡色で所々に細かい黒褐色の横斑が見られる。
 わが国の野鳥の中では最小の鳥といわれ、その小ささは、中国の古典『荘子』に「鷦鷯巣於深林、不過一枝(鷦鷯、深林に巣くうも、一枝に過ぎず)」とも記される。


蓼虫辛を忘る(りょうちゅうしんをわする)
蓼虫忘辛(りょうちゅうぼうしん)
人の好みはさまざまで、好きになればどんなことも気にならなくなるというたとえ。蓼の葉を食う虫は、その辛さを気にしないという意味。

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