2014年4月26日土曜日

平成21年 第1回読み③ 21-30


平成21 第1回読み③ 21-30

21) は春の七草の一つである。  すずな


22) 改めて考えてみた。  つらつら

23) 秣場で一汗流した。   まぐさば


24) 粗栲の衣を身に纏っている。  あらたえ



あら‐たえ〔‐たへ〕【荒妙/粗×栲】
上代、木の皮の繊維で織った、織り目の粗い布の総称。→和妙(にきたえ)
平安時代以降、麻織物のこと。


たく 【栲】 名詞
栲(こうぞ)または梶(かじ)の木。樹皮の繊維から糸・布・紙を作る。


たへ 【栲】名詞
こうぞの類の木の繊維で織った、白い布。また、布類の総称。





 

たえ【栲】

①カジノキ・藤・麻などからとった繊維。また,それで織った布。 「臣の子は-の袴を七重をし/日本書紀 雄略」
②布類の総称。 「御服(みぞ)は明る-・照る-・にぎ-・荒-に/祝詞 祈年祭」

たく【栲】

コウゾまたはカジノキの古名。 「此の郷の中に-の樹多(さわ)に生ひたり/豊後風土記」
 



25) 自慢話を一齣聞かされた。   ひとくさり




26) 檜の薄板をねて円筒形の器を作る。  わが

わが・ねる ×綰ねる】

[動ナ下一][文]わが・ぬ[ナ下二]細長いものを曲げて輪にする。「針金・ねる」「枝に魚を貫()いて・ねて」〈露伴・新浦島〉

たが・ねる ×綰ねる】

[動ナ下一][文]たが・ぬ[ナ下二]《「たかねる」とも》集めて一つにまとめる。たばねる。つかねる。「赤いハンケチを膝の上で・ねて見せる」〈虚子風流懺法



27)終日風吹いて且つ霾る   つちふ




28) 藐々たる昊天克くからざる無し。   かた
 藐
   音読み
    呉音 : マクミョウ(メウ)  漢音 : バクビョウ(ベウ)
   訓読み

 はこややま ××射の山】

 《本来は、「はるかなる姑射(こや)の山」の意。「荘子逍遥遊の例により、一つの山名のように用いられるようになった》
  1 中国で、仙人が住んでいるという想像上の山。姑射山(こやさん)
  2 日本で、上皇御所を祝っていう語。仙洞(せんとう)御所。仙洞。

「克く」は「よく」と読みます。

OCTAVE 漢字検定1級リピーターです より
「藐藐たる昊天克く鞏からざる無し」
漢検分野別精選演習1級をしていた。
「藐藐たる昊天克く鞏(かた)からざる無し」という文章が出てきた。
 詩経、大雅、瞻卬が出典である。

 「藐藐」は小さいものを表すが、ここでは反訓で大きいものと捉える。全体の意味は、「藐藐は大なる藐、鞏は固なり、藐藐たる昊天、是れ幽王に喩える。幽王も人間なれば、天より受けたる徳を鞏くとり守ること出来ないというはずはない。(願わくは今の内に早く悟りあらためて、先祖文王を忝(はずかし)めることのないように。文王は如何なることをなされたか、これを思って辱しめぬようにしなければ、先祖文王も汝を救い助けられないでしょう)」 

参考に漢典で「藐藐」を調べると、「高貌;高貌。藐,通。《·大雅·瞻卬》:藐藐昊天,无不克巩。」。「巩(鞏)」も調べると、「固,结实,使牢固:~固。~膜。consolidate」 「consolidate:〈権力・地位などを〉固める,強固にする,強化する;〈人望を〉高める」勉強になりました。
http://octave.blog.eonet.jp/default/2013/09/post-918b.html


詩經卷之六  朱熹集註 より
<音必><音弗><胡覽反>泉、維其深矣。心之憂矣、寧自今矣。不自我先、不自我後<叶下五反>。藐藐昊天、無不克鞏<叶音古>。無忝皇祖、式救爾後。興也。觱・沸、泉涌貌。檻泉、泉正出者。藐藐、高遠貌。鞏、固也。言泉水湧、上出其源深矣。我心之憂、亦非適今日然也。然而禍亂極適當此時。蓋已無可爲者。惟天高遠、雖若無意於物、然其功用神明不測。雖危亂之極、亦無不能鞏固之者。幽王苟能改過自新、而不忝其祖、則天意可回、來者猶必可救、而子孫亦蒙其福矣。

【読み】觱[ひつ]<音必><音弗>として檻[わ]<胡覽反>ける泉、維れ其れ深し。心の憂え、寧ぞ今よりならん。我より先ならず、我より後<叶下五反>ならず。藐藐[ばくばく]たる昊天、鞏[かた]<叶音古>むること克[あた]わざること無けん。皇祖を忝[はずかし]むること無くば、式て爾の後を救わん。興なり。觱・沸は、泉の涌く貌。檻泉は、泉の正しく出づる者。藐藐は、高遠なる貌。鞏[きょう]は、固まるなり。言うこころは、泉水瀵湧して、上り出づる其の源深し。我が心の憂え、亦適に今日然るに非ず。然れども禍亂の極み適に此の時に當たれり。蓋し已に爲す可き者無し。惟れ天の高遠、物に意無きが若しと雖も、然れども其の功用神明にして測られず。危亂の極みと雖も、亦鞏固すること能わざる者無し。幽王苟に能く過を改め自ら新たにして、其の祖を忝めざれば、則ち天意回る可く、來者猶必ず救わる可くして、子孫も亦其の福を蒙らん。
http://mokusai-web.com/shushigakukihonsho/shikyou/shikyou_3_taiga_body.html



29) 人にえて倦まず。    おし

論語ブログ より
子曰わく、黙して之を識(しる)し、学びて厭(いと)わず、人を誨(おし)えて倦(う)まず。何か我に有らんや。  
 
述而第七    仮名論語803行目です。

伊與田覺先生の解釈です。
先師が言われた。「黙っていて、心に深く知り、学んであくことがなく、人を教えて怠らない。そのほかに私に何があろうか。」



これは、孔子が自らに課し、終生を通じて実践していた生活信条です。
思索・学習そして教育。孔子の日常はこの三つの物が融合していたのでしょう。
「何か我に有らんや」、そのほかに私に何があろうか。と孔子は自信を持って言い切っています。
これらは、私たちが日常生活の中で、ついつい置き去りにしている事柄ばかりではないでしょうか。
「思索」、あわただしさの中で、じっくり考えるということを忘れていませんか。
「学習」、新しい知識を、たゆむことなく学びとろうとしていますか。
「教育」、面倒くさがらずに、自分の得た知識や体験を後進、後輩達に伝える努力をしていますか。
「何か我に有らんや」、ほかに私に何があろうか、と言い切る自信はありますか。
「何か我に有らんや」、残念ながら今の私にも、やはり言い切る自信はないですね。
孔子は、その生涯を学び続け、教え続け、そして世の平和を願って説き続けたのです。



30) 或いは黜け或は放つ   しりぞ