2014年4月24日木曜日

平成21年第2回 読み取り試験 11-20 詳解




平成21年第2回 読み取り試験 11-20 詳解

11)洛中に肆廛を構えた。  してん



12)林間の清流で盥漱する。  かんそう



13簒弑相次ぐ下剋上の世となった。  さんし、さんしい



14輦轂の下に一大祭典を催す。  れんこく



15)省みて愧赧の念にとらわれる。  きたん



16圧状ずくめに承知させる。   おうじょう



17喞喞たる虫の声を聞く。   しょくしょく



18)智愚一視して畛畦を設けず。   しんけい



19)寧ろ鶏鶩と争うを為さんか。  けいぼく



20昊天成命あり。  こうてん
1.           夏の空。
 広い空。大空。
2.            「俄(には)かに―常闇(とこやみ)となって」〈謡・河水〉


こう‐てん〔カウ‐〕【×昊天】

[童蒙訓]―巻上
18虔州の人李潜君行先生は、篤行にして自守、当世と交わらず。年五十余にして、泗州僧伽(そうぎゃ)塔を監するも、人はしらず。右丞範公彝叟が発運史と為り、始めて深く之れを知る、力(つと)めて朝に薦めて太学博士、校書郎に徐せしむ。紹聖の中、力めて去ることを求めて蘄州の知となり、遂に老を請う。君行の学は専ら経書の論語、孟子を以て正と為すも、此を舎(す)てて皆取らず。「七世之廟、以て徳を観るべし」とある如く、則ち七廟を専守し、其の他の廟数を云うは同じからざる者にして、皆取ること無かれ。「昊天成命有り、天地を郊祀す」と、則ち是れ天地を合祭することに疑い無し。其の南北郊を云い、其の圓丘郊禘を云うは、異礼にして皆取らず。其の学は簡にして明らかに易し。己の行いを以て本と為し、空言を為さず。東莱公や叔父舜従ら皆之れと遊ぶ。
  (訳文)虔州の人李潜君行先生は、誠実に物事に対処し、自身を大切にして、時代に流されることはなかった。歳五十余歳で泗州の僧伽塔を監督したが、人はこのことを知らない。右丞の範公彝叟が発運史となって始めて彼を知り強く朝廷に推挙して太学博士、校書郎につかせた。紹聖年間に強く辞職を願い出て蘄州の知事に転じ、最後には老齢を理由に職を辞した。君行の学は専ら経書の「論語」と「孟子」を以て正統なものとしたが、人々はこれをうち捨てて顧みない。「七世の廟が守られていれば、徳政がよく行われて居ることが解る」とあるように、七廟の制をよく守り、其の他の廟数を云うことは道徳に違反する事になるので用いてはならない。「天が命じる定めあり、天地は郊外にて祭祀せよ」とあるように、天地を合祀する定めには疑う余地はない。南北の郊外で別々に祭祀するとか、皇祖と一緒に合祀する円丘祭などは儀礼に反するもので、皆行ってはならない。彼の学問は簡潔にして解りやすく、己の行動に基礎を置き、空言を吐くことはない。東莱公や叔父舜従らと彼は交遊していた。
  (注釈)虔州は宋代に、今の江西省にあった州。李君行先生とは、李潜のことで字が君行、諡が文簡。宋代の名士で理学家。其の人となりは生来正直にして剛直。民政を担当する中書省の長官などを務めたが、人民を我が子の如く愛したという。僧伽塔は西域から来た高僧、僧伽の骨が埋まっている記念塔。右丞は尚書右丞(宮中の文書を掌る補佐役)のこと。範公彝叟は範純礼のことで、字が彝叟。北宋の詩人范仲俺の第三子。発運史とは、穀物・茶・塩などの売買や財政を掌る役人のこと。「七世之廟、可以觀徳」は書経、商書の「咸有一徳」(人間は誰でも必ず良いところがあるの意)篇にある言葉。七廟は、昭穆の制で定められた天子の墓の基準。「昊天有成命、郊祀天地也」は詩経、周頌の昊天篇にある言葉。郊祀とは、儒教の経書に基づく皇帝祭祀のことで、王都の郊外で天地を祀った祭りのこと。時代により天の祭祀は南郊で行い、地の祭祀は北郊で行ったり、皇祖を一緒に祀ったり(円丘を築いて行ったので、円丘祭と云った)といろいろであった。また、北宋朝の旧法党は合祀を、新法党は分祭祀を主張した。北宋の文豪蘇軾も李潜と同じく天地合祀を正しいとした。東莱公は父好問のこと。舜従は好問の弟切問のことで、字が舜従。


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