平成23年 第1回 読み取り 3の3 (21 - 30)
21)【衵】姿の童女が現れた。⇒【あこめ】
…「衵」の読みは「ジツ、あこめ」。意味は「柔らかいふだん着。婦人のはだぎ」。熟語は、
【衵服】(ジップク ) 婦人のはだぎ。
22) 軈て学頭に【陞】せられた。⇒【のぼ】
やがて 【×軈て/▽頓て】
[副]
23) 場末の往来はひどく【濘】っていた。⇒【ぬか】
…「濘」の読みは「ネイ、ぬか‐る」。熟語は、
【泥濘】(デイネイ ) 泥の深いぬかるみ。
24)【備】にその由を告げる。⇒【つぶさ】
26) 進退谷まって自ら【刎】ねる。⇒【は、くびは】
27)【鷽】が囀る。⇒【うそ】
さえず・る 〔さへづる〕 【×囀る】(音)テン (訓)さえず(る)
[動ラ五(四)]《「さいずる」の音変化》
1 小鳥がしきりに鳴く。「カナリアの―・る声」《季 春》「―・るも帰りがけなる小鳥かな/浪化」
2 口数多く早口でしゃべるのを軽蔑していう。ぺちゃくちゃしゃべる。「よく―・る女の子だ」
3 地方の人や外国人などが耳慣れない言葉でしゃべる。「そこはかとなく―・るも、心の行く方(へ)は同じこと」〈源・須磨〉
[可能]さえずれる
28) 剣を【扣】えて清歌す。⇒【ひか】
[動ラ五(四)]《「さいずる」の音変化》
1 小鳥がしきりに鳴く。「カナリアの―・る声」《季 春》「―・るも帰りがけなる小鳥かな/浪化」
2 口数多く早口でしゃべるのを軽蔑していう。ぺちゃくちゃしゃべる。「よく―・る女の子だ」
3 地方の人や外国人などが耳慣れない言葉でしゃべる。「そこはかとなく―・るも、心の行く方(へ)は同じこと」〈源・須磨〉
[可能]さえずれる
28) 剣を【扣】えて清歌す。⇒【ひか】
29) 俗を斉え弊を【拯】い民嘉せざるなし。⇒【すく】
…「拯」の読みは「ジョウ、すく‐う」。熟語は、
【拯救】(ジョウキュウ ) すくいあげて助ける。『拯恤(ジョウジュツ)』
「ゾクオトトノエ」「ヘイヲスクイ」「タミヨミセザルナシ」
と読みます。
意訳すれば、
世の人のあり方をきちんとさせ、わるいところがよくなるようにしたので、誰一人としてそれ(政治)を歓迎しない者はなかった。
よみ・する3 【▼嘉する・▽好する】
(動サ変)
[文]サ変 よみ・す
〔補説〕 「よみ」は形容詞「良し」の語幹に接尾語「み」の付いたもの
よしとする。ほめる。
其厚意(こころ)を―・し、情を掛て使ひけるが〔出典: こがね丸(小波)〕
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&stype=1&dtype=0&dname=0ss&...
30) 王兼金一百を【餽】るも受けず。〈孟子〉⇒【おく】
…「餽」の読みは「キ、おく‐る」。
①まつる 死者の霊に食物を供えてまつる
②おくる 食物や金品を送る
熟語は、
【餽歳】(キサイ ) 世話になった礼として年末におくり物をおくること。歳暮。
【餽遺】(キイ ) 食物や金品をおくること。
原典にあたってみた 河童の川流れ
http://kappanokawanagare.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-59ca.html
公孫丑篇 十二章①
孟子が、贈り物を受け取ったり受け取らなかったりする、その基準はどこにあるのかを、弟子の陳臻(ちんしん)が尋ねます。
【訓読文】
陳臻(ちんしん)問いていわく「前日、斉(せい)において、王、兼金一百を餽(おく)りしも受けず。
宋においては、七十鎰(いつ)を餽られて受け、薛(せつ)においては、五十鎰を餽られて受く。
前日の受けざりしが是(ぜ)ならば、今日の受くるは非(ひ)なり。
今日の受くるが是ならば、前日の受けざりしは非なり。
夫子(ふうし)必ず此(こ)の一(いつ)に居らん」。
【現代語訳】
弟子の陳臻(ちんしん)が尋ねた。「先日、斉(せい)の国で、先生は、王から銀百鎰(いつ)を贈られたのに、固辞されました。
しかし、最近、宋の国では、七十鎰を贈られて受け取られ、薛(せつ)の国でも五十鎰を贈られて受け取られました。
もし、先日(斉で)固辞されたのが正しいのならば、最近(宋や薛で)受け取られたのは間違っていることになります。
もし最近受け取られたのが正しいのならば、先日固辞されたのは間違っていることになります。
先生のお考えは、必ずこのうちのどちらか一つにあるのでしょう(それを教えていただけませんでしょうか)」。
この章は、斉の国を離れた後の会話だと思われます。孟子に銀を贈った王は、宣王です。
この記述から、斉を離れた孟子は、宋、薛と回ったことになります。宋は斉の隣国です。斉は宣王の後を継いだ王が宋を滅ぼして併合します。薛(せつ)は斉の衛星国で、当時、宣王の異母弟であった田嬰(でんえい)の所領でした。田嬰の子が、有名な孟嘗君(もうしょうくん)です。
兼金は銀のこと、鎰は銀の重さで二十両に相当します。
謝辞
このブログは、自分のお勉強のために作ったものです。あちらこちらのホームページやブログから気に入った記事をコピーペーストとして作ったものです。作る過程で非常に勉強になりました。
とにかく分からないことだらけですので、自分なりに大量にいろいろな記事を使っております。それらの記事をお書きになった各位には本当に感謝しております。
特に新潟漢字同好会様のブログ http://nkd-dogu.blogspot.jp の記事を多く参考にさせて戴きました。改めて感謝申し上げます。
また、One On One 様、めざせ漢字検定一級 様、 漢字の大海 様 などの記事も要所要所で使わせて頂きました。感謝申し上げます。
【餽歳】(キサイ ) 世話になった礼として年末におくり物をおくること。歳暮。
【餽遺】(キイ ) 食物や金品をおくること。
原典にあたってみた 河童の川流れ
http://kappanokawanagare.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-59ca.html
公孫丑篇 十二章①
孟子が、贈り物を受け取ったり受け取らなかったりする、その基準はどこにあるのかを、弟子の陳臻(ちんしん)が尋ねます。
【訓読文】
陳臻(ちんしん)問いていわく「前日、斉(せい)において、王、兼金一百を餽(おく)りしも受けず。
宋においては、七十鎰(いつ)を餽られて受け、薛(せつ)においては、五十鎰を餽られて受く。
前日の受けざりしが是(ぜ)ならば、今日の受くるは非(ひ)なり。
今日の受くるが是ならば、前日の受けざりしは非なり。
夫子(ふうし)必ず此(こ)の一(いつ)に居らん」。
【現代語訳】
弟子の陳臻(ちんしん)が尋ねた。「先日、斉(せい)の国で、先生は、王から銀百鎰(いつ)を贈られたのに、固辞されました。
しかし、最近、宋の国では、七十鎰を贈られて受け取られ、薛(せつ)の国でも五十鎰を贈られて受け取られました。
もし、先日(斉で)固辞されたのが正しいのならば、最近(宋や薛で)受け取られたのは間違っていることになります。
もし最近受け取られたのが正しいのならば、先日固辞されたのは間違っていることになります。
先生のお考えは、必ずこのうちのどちらか一つにあるのでしょう(それを教えていただけませんでしょうか)」。
この章は、斉の国を離れた後の会話だと思われます。孟子に銀を贈った王は、宣王です。
この記述から、斉を離れた孟子は、宋、薛と回ったことになります。宋は斉の隣国です。斉は宣王の後を継いだ王が宋を滅ぼして併合します。薛(せつ)は斉の衛星国で、当時、宣王の異母弟であった田嬰(でんえい)の所領でした。田嬰の子が、有名な孟嘗君(もうしょうくん)です。
兼金は銀のこと、鎰は銀の重さで二十両に相当します。
謝辞
このブログは、自分のお勉強のために作ったものです。あちらこちらのホームページやブログから気に入った記事をコピーペーストとして作ったものです。作る過程で非常に勉強になりました。
とにかく分からないことだらけですので、自分なりに大量にいろいろな記事を使っております。それらの記事をお書きになった各位には本当に感謝しております。
特に新潟漢字同好会様のブログ http://nkd-dogu.blogspot.jp の記事を多く参考にさせて戴きました。改めて感謝申し上げます。
また、One On One 様、めざせ漢字検定一級 様、 漢字の大海 様 などの記事も要所要所で使わせて頂きました。感謝申し上げます。
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