平成21年 第1回読み③ 21-30
21) 菘は春の七草の一つである。 すずな
22) 改めて倩考えてみた。 つらつら
23) 秣場で一汗流した。 まぐさば
24) 粗栲の衣を身に纏っている。 あらたえ
纏
あら‐たえ〔‐たへ〕【荒▽妙/粗×栲】
1 上代、木の皮の繊維で織った、織り目の粗い布の総称。→和妙(にきたえ)
2 平安時代以降、麻織物のこと。
たく 【栲】 名詞
栲(こうぞ)または梶(かじ)の木。樹皮の繊維から糸・布・紙を作る。
たへ 【栲】名詞
こうぞの類の木の繊維で織った、白い布。また、布類の総称。
たえ【栲】
①カジノキ・藤・麻などからとった繊維。また,それで織った布。 「臣の子は-の袴を七重をし/日本書紀 雄略」
②布類の総称。 「御服(みぞ)は明る-・照る-・にぎ-・荒-に/祝詞 祈年祭」
たく【栲】
コウゾまたはカジノキの古名。 「此の郷の中に-の樹多(さわ)に生ひたり/豊後風土記」
たく 【栲】 名詞
栲(こうぞ)または梶(かじ)の木。樹皮の繊維から糸・布・紙を作る。
たへ 【栲】名詞
こうぞの類の木の繊維で織った、白い布。また、布類の総称。
たえ【栲】
①カジノキ・藤・麻などからとった繊維。また,それで織った布。 「臣の子は-の袴を七重をし/日本書紀 雄略」
②布類の総称。 「御服(みぞ)は明る-・照る-・にぎ-・荒-に/祝詞 祈年祭」
たく【栲】
コウゾまたはカジノキの古名。 「此の郷の中に-の樹多(さわ)に生ひたり/豊後風土記」
25) 自慢話を一齣聞かされた。 ひとくさり
26) 檜の薄板を綰ねて円筒形の器を作る。 わが
わが・ねる 【×綰ねる】
たが・ねる 【×綰ねる】
27)終日風吹いて且つ霾る つちふ
28) 藐々たる昊天克く鞏からざる無し。 かた
藐
はこや‐の‐やま 【×藐×姑▽射の山】
「克く」は「よく」と読みます。
「藐藐たる昊天克く鞏からざる無し」
漢検分野別精選演習1級をしていた。
「藐藐たる昊天克く鞏(かた)からざる無し」という文章が出てきた。
詩経、大雅、瞻卬が出典である。
「藐藐」は小さいものを表すが、ここでは反訓で大きいものと捉える。全体の意味は、「藐藐は大なる藐、鞏は固なり、藐藐たる昊天、是れ幽王に喩える。幽王も人間なれば、天より受けたる徳を鞏くとり守ること出来ないというはずはない。(願わくは今の内に早く悟りあらためて、先祖文王を忝(はずかし)めることのないように。文王は如何なることをなされたか、これを思って辱しめぬようにしなければ、先祖文王も汝を救い助けられないでしょう)」
参考に漢典で「藐藐」を調べると、「高貌;高远貌。藐,通“ 邈 ”。《诗·大雅·瞻卬》:“藐藐昊天,无不克巩。”」。「巩(鞏)」も調べると、「坚固,结实,使牢固:~固。~膜。consolidate」 「consolidate:〈権力・地位などを〉固める,強固にする,強化する;〈人望を〉高める」
勉強になりました。
http://octave.blog.eonet.jp/default/2013/09/post-918b.html
詩經卷之六 朱熹集註 より
○觱<音必>沸<音弗>檻<胡覽反>泉、維其深矣。心之憂矣、寧自今矣。不自我先、不自我後<叶下五反>。藐藐昊天、無不克鞏<叶音古>。無忝皇祖、式救爾後。興也。觱・沸、泉涌貌。檻泉、泉正出者。藐藐、高遠貌。鞏、固也。○言泉水瀵湧、上出其源深矣。我心之憂、亦非適今日然也。然而禍亂極適當此時。蓋已無可爲者。惟天高遠、雖若無意於物、然其功用神明不測。雖危亂之極、亦無不能鞏固之者。幽王苟能改過自新、而不忝其祖、則天意可回、來者猶必可救、而子孫亦蒙其福矣。
【読み】
○觱[ひつ]<音必>沸<音弗>として檻[わ]<胡覽反>ける泉、維れ其れ深し。心の憂え、寧ぞ今よりならん。我より先ならず、我より後<叶下五反>ならず。藐藐[ばくばく]たる昊天、鞏[かた]<叶音古>むること克[あた]わざること無けん。皇祖を忝[はずかし]むること無くば、式て爾の後を救わん。興なり。觱・沸は、泉の涌く貌。檻泉は、泉の正しく出づる者。藐藐は、高遠なる貌。鞏[きょう]は、固まるなり。○言うこころは、泉水瀵湧して、上り出づる其の源深し。我が心の憂え、亦適に今日然るに非ず。然れども禍亂の極み適に此の時に當たれり。蓋し已に爲す可き者無し。惟れ天の高遠、物に意無きが若しと雖も、然れども其の功用神明にして測られず。危亂の極みと雖も、亦鞏固すること能わざる者無し。幽王苟に能く過を改め自ら新たにして、其の祖を忝めざれば、則ち天意回る可く、來者猶必ず救わる可くして、子孫も亦其の福を蒙らん。
http://mokusai-web.com/shushigakukihonsho/shikyou/shikyou_3_taiga_body.html
29) 人に誨えて倦まず。 おし
論語ブログ より
子曰わく、黙して之を識(しる)し、学びて厭(いと)わず、人を誨(おし)えて倦(う)まず。何か我に有らんや。
述而第七 仮名論語80頁3行目です。
伊與田覺先生の解釈です。
先師が言われた。「黙っていて、心に深く知り、学んであくことがなく、人を教えて怠らない。そのほかに私に何があろうか。」
これは、孔子が自らに課し、終生を通じて実践していた生活信条です。
思索・学習そして教育。孔子の日常はこの三つの物が融合していたのでしょう。
「何か我に有らんや」、そのほかに私に何があろうか。と孔子は自信を持って言い切っています。
これらは、私たちが日常生活の中で、ついつい置き去りにしている事柄ばかりではないでしょうか。
「思索」、あわただしさの中で、じっくり考えるということを忘れていませんか。
「学習」、新しい知識を、たゆむことなく学びとろうとしていますか。
「教育」、面倒くさがらずに、自分の得た知識や体験を後進、後輩達に伝える努力をしていますか。
「何か我に有らんや」、ほかに私に何があろうか、と言い切る自信はありますか。
「何か我に有らんや」、残念ながら今の私にも、やはり言い切る自信はないですね。
孔子は、その生涯を学び続け、教え続け、そして世の平和を願って説き続けたのです。
30) 或いは黜け或は放つ しりぞ
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